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Showing posts from 2018

高島屋・酒器展

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加藤亮太郎、椿手酒呑。幅 59 mm、高さ 60 mm。日本橋高島屋で毎年ひらかれている酒器展にて。わたしの人生の目標を、毎年酒器展で一個なにか買う、といま決めた。会期は来年1月8日まで。ところでオジュウチョウサンはダメだったね、4コーナーまでは夢見させてくれたけど… A sake cup by Ryotaro Kato, at Nihombashi Takashimaya.

尾去沢の閃亜鉛鉱 Sphalerite from Osarizawa

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秋田県鹿角市 尾去沢鉱山 Osarizawa Mine, Kazuno City, Akita, Japan 高さ height 65 mm / 重さ weight 134 g 石英で覆われた緑泥石主体の母岩の小片に、薄茶色のべっ甲亜鉛がくっつく。すでに紹介した尾去沢産の標本( 1 、 2 )のいずれとも色合いが違っていて興味深い。平らな結晶面は、単純な八面体というよりは、むしろ斜方十二面体の一部を構成しているように思うが、よくわからない。古い文献(日本鉱物誌など)によると、尾去沢の閃亜鉛鉱は「径 8 cm を超ゆ」とある。そこまで大きくはないが、なかなか立派な結晶である。 尾去沢鉱山は、金・銀・銅鉱の生産が主力であって、亜鉛(や鉛)を本格的に採掘したのは、長い鉱山の歴史の中でも戦後になってからである。にもかかわらず閃亜鉛鉱の結晶標本が、黄銅鉱などにくらべて多く残されているのは、やはりべっこう亜鉛の魅力によるものだろう。 Brown sphalerite crystal is attached to a piece of green host rock covered by quartz. It is interesting that the color is different from either of previously shown specimens from Osarizawa ( 1 , 2 ). Flat crystal surfaces seem to show a part of dodecahedron. Big sphalerite crystal of 8 cm size used to be found in Osarizawa according to old books. The main ores in Osarizawa have been gold, silver and copper. It was after the Pacific War that zinc and lead began to be commercially mined. Nevertheless sphalerite specimen from Osarizawa is relatively plenty probably bec

荒川の黄銅鉱 Chalcopyrite from Arakawa

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秋田県大仙市協和荒川 荒川鉱山 Arakawa Mine, Kyowa Arakawa, Daisen City, Akita, Japan 幅 width 16 cm / 重さ weight 1 kg  硬い灰青色の堆積岩を母岩として、透明な水晶と、径 1 cm を超える黄銅鉱とが群生する。黄銅鉱は耳付き双晶をなすものが多い。黄銅鉱と水晶以外の鉱物はほぼ見当たらない。産地は荒川鉱山としているが、入手先が鉱物標本を専門としない古物商なのでやや自信がない。近隣の宮田又産かもしれない(実際、宮田又は戦時中の一時期は荒川鉱山と称していた)。 岩崎重三「日本鉱石学・4巻・銅」(内田老鶴圃、1918) という古い本に荒川鉱山のことが書いてある。いわく「鉱脈を構成する主要なる鉱物は、黄銅鉱と石英のみにして、きわめて少量の黄鉄鉱、方鉛鉱、および閃亜鉛鉱をともなう…」「石英ははなはだしく結晶質にして、大きさ小指大の水晶は鉱脈中いたるところに縦横乱立して、少しも他物をまじえず…」「黄銅鉱ははなはだしく純粋にして、その中に黄鉄鉱等をともなわず。かつまた黄銅鉱の結晶するもの、はなはだしく異形にして、他山に見ざるところ多し…」など。最後の引用は、いわゆる三角式黄銅鉱のことを言っているのだろう。以上を参照するに、この標本は、荒川鉱山の鉱石の特徴を多少なりとも備えていると思う。 Chalcopyrite crystals of 1 cm in size or larger, mostly twinned with "ears", are sprinkled over a quartz cluster on a gray-blue sedimentary host rock. It looks no other minerals exist. The locality is not very certain because this piece of copper ore was sold at a nonprofessional secondhand dealer. This may be from the Miyatamata mine. According to an old book about copper written by Juzo

秩父の黄銅鉱 Chalcopyrite from Chichibu

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埼玉県秩父市中津川 秩父鉱山 大黒鉱床 Daikoku Deposit, Chichibu Mine, Nakatsugawa, Chichibu City, Saitama, Japan 幅 width 100 mm / 重さ weight 554 g 塊状の硫化鉱の上に黒い閃亜鉛鉱がついて、その上に大粒の黄銅鉱が群生する。黄銅鉱の上には、さらに方解石や、鉄をふくんだ炭酸塩(菱鉄鉱かアンケル石か)の細かい結晶がふりつもっている。 すでに紹介した閃亜鉛鉱標本 と同じ産地で、雰囲気が似ている。黄銅鉱は一般に四面体状に結晶することが多い。しかしこの標本は、正確な結晶面は同定しがたいが、偏菱十二面体に分類されるものが多いように思われる。そしてそういう結晶は、鏡面のようなはっきりした反射でなく、光の当たり具合によって、ぼやっとしたなんとも言えない輝きをみせるのである。「ビロード状」とか「月光のような」とかいう形容があるが、それに近い。なお、そうした輝きをみせるものはとくに足尾産が有名で、たとえば 砂川一郎「足尾図幅内に産する鉱物」(1955) や 地質調査所編「Introduction to Japanese Minerals」(1970)を参照のこと。 Large chalcopyrite crystals grow on a matrix of sphalerite and pyrite. Small calcite and some brown carbonates (siderite or ankerite) are scattered. From the same locality as a previously shown sphalerite specimen . Most crystals form dodecahedron, which shines like a velvet or a moon light. Ashio mine in Japan is renowned for such subtly shining chalcopyrite (see "Introduction to Japanese Minerals", Geological Survey of Japan, 1970). もうひとつこの

尾去沢の孔雀石 Malachite from Osarizawa

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秋田県鹿角市 尾去沢鉱山 Osarizawa Mine, Kazuno City, Akita, Japan 標本幅 width 60 mm / 重さ weight 65 g  このような肉厚でムクの孔雀石は、日本では絶産して久しく、いまや目にすることもまれである。同じ秋田県の阿仁鉱山や荒川鉱山の孔雀石は、いくつかの博物館(たとえば東京・上野の 国立科学博物館 や筑波の 地質標本館 )で見られるが、尾去沢のものは意外とないようで、その点でも貴重かもしれない。ただお断りしておくと、これは「ヤフオク」で入手したしろもので、産地が信頼できるものかどうか、ややこころもとない。。。 サイズこそ小さいが、表面のようすは、まるでコンゴ産か、と思われるほど立派だ。表面のモコモコが、パイプ状(鍾乳状)の構造の末端であることは、ちょうど 前掲の黄鉄鉱(白鉄鉱) と同様。同心円状に縞々が見える部分もある。付属した手書きのラベルには、旧金石舎標本、とあった。これが確かならば、かなり古い標本であることは疑いない。金石舎とは、宮沢賢治や長島乙吉などのビッグネームを語る際にも出てくる、伝説の宝石・鉱物標本店である。少なくとも昭和時代までは鉱物標本を扱っていたと思われる。いまも東京・神田に同じ屋号のビルがある。 It is rare to see a thick and pure malachite in Japan because it has long been extinct. Malachite specimens from Ani and Arakawa mines in the same Akita prefecture are relatively well known and displayed in some museums (eg. National Museum of Nature and Science in Ueno and Geological Museum in Tsukuba). I found this specimen at an internet auction, feeling a little uncertainty about the locality... The size is small but the text

尾太の黄鉄鉱/白鉄鉱 Pyrite/Marcasite from Oppu

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青森県中津軽郡西目屋村 尾太鉱山 Oppu mine, Nishimeya village, Naka-Tsugaru district, Aomori prefecture, Japan 幅 width 75 mm / 重さ weight 118 g この標本を入手したときに添えられていたラベルは「黄鉄鉱」だったが、ぶどうの房のようにもこもこした感じから、いかにも白鉄鉱のようにみえる。そのもこもこの一部は、実は母岩から伸びるパイプ状の構造の末端であることが、裏側からみるとわかる。一個一個の結晶は、てっぺんが平らなピラミッドのような形をしているのが多い。最近、伊藤貞市「本邦鉱物図誌・第1巻」(1937)という古い本をみる機会があった。それによると、一般に黄鉄鉱と思われている標本でも、相当量の白鉄鉱を含むことがある、とのこと。たとえば足尾の曲面黄鉄鉱と称されるものは、大半を白鉄鉱が占めるそうだ。 白鉄鉱は、湿気の多い日本では保存がむずかしく、しだいに分解・崩壊して硫酸を生じ、標本箱がボロボロになる、というはなしをよく聞く。ふたたび伊藤の著書によると、そうした分解のはなはだしい標本は、多くが白鉄鉱と黄鉄鉱とが混ざった鉱石で、純粋な白鉄鉱の結晶は大気におかされることがすくない、という。この標本をみるに、結晶の表面にうす茶色いカサカサしたゴミのようなものが吹き出ている。白鉄鉱の分解物かもしれない。裏側にみえる黄銅鉱も、変質してピーコック・オアの風合いをもっており、これも白鉄鉱(+黄鉄鉱)の分解の影響だろう。 This is a pyrite specimen according to the original label, but it is probably marcasite because of its globular texture, which seems to be the end of a pipe-like structure as seen from the backside. The crystal mostly resembles a pyramid with a flat top. I recently had a chance to have a look at an old book, Japanese minerals i

オジュウチョウサン!

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本日、東京競馬場で開催の南武特別で、絶好のスタートをきめる3番・オジュウチョウサン(水色のメンコ)。見事勝利を飾り、これで11連勝。有馬記念出走へ、夢がひろがった。 昨年の中山大障害 をはじめ、障害G1レースを5勝した名馬オジュウチョウサンが、平地競走に復帰して2戦目、7頭中3番人気であったが、地力の強さ、スタミナのちがいをみせつけて今回も勝利。馬券もあたった。 さいごの直線、先行馬を猛追するオジュウチョウサン。これは有馬も応援せねば。。。

尾太の方鉛鉱 Galena from Oppu

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青森県中津軽郡西目屋村 尾太鉱山 Oppu Mine, Nishimeya Village, Naka-Tsugaru District, Aomori Prefecture, Japan 幅 width 60 mm / 重さ weight 268 g 四角い方鉛鉱の結晶が寄せ集まって、現代アートの作品のような標本になっている。黄鉄鉱の粒が点々とのっていて、これはまるでティンカーベルの粉みたいだ。黒い塊状の閃亜鉛鉱もすこし伴う。方鉛鉱の表面はつるんとしていて、鈍く輝いている。結晶の一部は軸の方向によって成長の速さが違ったのか、かなり細長い直方体のものがある。また結晶の面の中央部がえぐれているのもあって、これを骸晶という。立方体の稜の部分の成長速度が速すぎたため、面の部分の成長が遅れて、とりのこされてしまったことに起因するといわれている。岩塩(方鉛鉱もおなじ塩化ナトリウム構造)、ビスマスの人工結晶、水晶などにも同様の現象が見られる。 尾太鉱山が閉山する少し前、1970年頃の産出品。茨城県守谷の タケダ鉱物標本 で購入。こういう立体的な結晶のあつまりが晶洞内に形成されるのは、かなりまれなことだとおもうが、尾太鉱山では比較的多く出たらしい。ヤフオクなんかで「尾太」と検索すると、水晶や菱マンガン鉱など、観賞用として愛鉱家の元に保管されていたものが、けっこう古物市場にでているようである。 Several cubic galena crystals gather to form a specimen like a modern art. Tiny crystals of pyrite are sprinkled over it, as if Tinker Bell had done. Sphalerite is also seen a little. The surface of galena is mostly smooth and lustrous. Some of the galena crystals are elongated in one direction. The top one shows a skeletal (hopper) crystal. This is a specimen mined at Oppu around 1970, s

松峰の黄銅鉱 Chalcopyrite from Matsumine

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秋田県大館市 松峰鉱山 Matsumine Mine, Odate City, Akita, Japan 幅 width 70 mm / 重さ weight 177 g 細かい水晶とともに、光輝を放つ黄銅鉱の結晶が、標本のほぼ全面に着生する。結晶サイズは最大で 7 mm ほど。耳つき双晶がめだつ。立方体の小さな黄鉄鉱もみられる。 松峰鉱山の標本も、 これで4個目の紹介 になるが、いずれもきれいな結晶である。松峰鉱山の鉱体は、地下深くに眠っているので、天水の影響をうけず、鉱物の保存が良いのだろう。逆に二次鉱物のバラエティーは不足しているので、人によってはつまらない産地なのかもしれない。 Shiny golden chalcopyrite crystallizes over a piece of host rock with fine crystals of quartz. The largest chalcopyrite is about 7 mm in size. Some of them form twins with "ears". There is also some small cubic pyrite. This is the fourth specimen from Matsumine mine in this blog . Everyone has fine beautiful crystals. As the Kuroko deposits of Matsumine mine underlie the Hokuroku basin, crystals have been well preserved without alternation due to water. Conversely, this is a less attractive locality for some people because of lack of secondary minerals.

釜石〜気仙沼の旅 Traveled Kamaishi to Kesennuma

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釜石〜気仙沼を駆け足で旅した。写真は、釜石鵜住居復興スタジアムで、台風の強風下おこなわれた、ラグビー・トップリーグ、キャノン・イーグルス vs. コカ・コーラ・レッドスパークスの試合。フォワード戦は赤のキャノンに分があったようで、43 対 24 でキャノンが勝った。 I traveled Kamaishi to Kesennuma. The picture shows a Japan Top League rugby match, Eagles vs. Red Sparks, at Kamaishi-Unosumai Memorial Stadium. Under a strong wind of typhoon Eagles were superior at forward fights and won by a score of 43-24. 今回の旅は、新しく釜石にできたラグビー場でラグビーの試合があると、試合の前日に知ったことにはじまる。チケット、ホテルに空きがあることを確認して、これらを予約。次の日の早朝、新幹線にとび乗り、釜石駅に着いたのが午前11時前。台風で強風警報が発令される中、試合は無事定刻の11時半にはじまった。 This travel began when knowing there was a rugby game at a brand-new stadium in Kamaishi City on the previous day of the match. Hopping a train next morning, I arrived at Kamaishi station before 11am. The game began at 11:30 under gale warning. スタジアムがある鵜住居[うのすまい]地区は、津波の被害がとくにひどかった地域である。海沿いの低地は空き地や工事中のところが多い。海岸には巨大な防潮堤が築かれている。こうした光景は、今後の旅の中で、いやというほど目にすることになる。 The stadium was built in Unosumai, one of the most severely damaged areas by tsunami of the 2011 Tohok

釜石鉱山 Kamaishi Mine

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釜石〜気仙沼まで、三陸地方の一部を訪ねた。まずは釜石鉱山とその鉱石について。写真は 釜石大観音 の足元から釜石湾をのぞむ。さすが鉄の町・釜石。いろんなところに釜石鉱山の鉱石である磁鉄鉱塊や石灰岩が置かれていて、前者には磁石が一個か二個くっついているのがお決まりである。 I visited a part of Sanriku area, from Kamaishi to Kesen-numa Cities. First, I introduce Kamaishi mine and ores. The above picture is a view of Kamaishi bay from near the statue of Kamaishi Dai-Kannon . In Kamaishi City, you will see displays of iron ores (magnetite) from Kamaishi mine at several places, which are guaranteed to attract one or two magnets (e.g. the right black one). 釜石鉱山の事務所だった建物が鉱山跡に残されているので、まずはそこを訪れる。釜石駅からJR釜石線で(所要 25 分)、または岩手県交通のバスで(所要 40 分)、陸中大橋駅まで行き、そこから 10 分少々歩くと目的の地に到着。この建物は、現在は 釜石市が運営する資料館 になっており、釜石鉱山とその周辺の町の歴史を、さまざまな展示品をとおして知ることができる。 There is a building at Kamaishi mine that was used as the main office. It takes about 25 minutes by train from Kamaishi station of JR line, or 40 minutes by bus from the same place, to (Rikuchu) Ohashi station, and a 10 minute walk from there leads to the former office. The building is open

白磁 菊花流水文 Chrysanthemum and Stream

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17世紀後半 Late 17c 口径 width 72 mm / 高さ height 50 mm / 高台径 bottom width 40 mm 白磁のそば猪口で、口縁には鉄釉がほどこされる(縁紅[ふちべに]という)。そして白土(化粧土)をもちいて川の流れとほとりの植物とが二面にえがかれる。これは白土型紙摺[しろつちかたがみすり]とよばれる技法で、「古伊万里の見方1: 種類」(佐賀県立九州陶磁文化館、2004)によると、「文様を切り抜いた型紙の上から刷毛で白土を刷り込んで」、その上に透明釉をかけて焼いたものである(青磁に白絵をほどこす例もある)。この猪口の場合、両面2つの絵がまったく同じなので、プリントだとわかる。Huawei のマークみたいなのがあるが、これはおそらく菊の花を半分えがいたものだろう。菊花流水のモチーフは初期伊万里の作品にもみられる。 A simple white soba-choko with an iron glaze at the rim and two flowering plant patterns. The flower pattern is a print, which was made by painting white engobe through a paper cutout put on the cup. There is a pattern like Huawei's mark, which would be kiku (chrysanthemum) blossom. A motif of kiku blossom on a water stream is not rare in Imari ware. 白磁という白いキャンバスに白い絵をえがくという、ちょっとほかでは見られない、独特のセンスがおもしろい。単に技法がおもしろいだけでなく、器の端正さや、白磁のあたたかみなど、17世紀後半から元禄頃の、いわゆる柿右衛門白磁の美をよく体現しているとおもう。 It is a unique sense to draw a white picture on a white canvas. This cup is also attractive because of its shape and natu

竹矢来文猪口 Bamboo Fence Cup

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18世紀前半 Early 18th century 口径 top width 77 mm / 高台径 bottom width 47 mm / 高さ height 58 mm 竹矢来(たけやらい)とは竹を粗く交差させた囲いのことだそうだが、笹の葉が描かれていることから、単に竹を図案化したものかもしれない。形こそ違うが、土や釉薬のかんじは 前掲の水仙のそば猪口 とよく似ている。製作年代もおそらくおなじ頃のものとおもわれる。 This pattern is traditionally called " take-yarai " (bamboo fence), but it may be just a design of bamboo that doesn't have particular meaning. This cup is very similar to the previous one in the texture and glaze, though the shape is different. The age of production may be also similar.

水仙文猪口 Daffodils Cup

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18世紀前半 Early 18c 口径 top width 72 mm / 高台径 bottom width 50 mm / 高さ height 57 mm いわゆる上げ底タイプのそば猪口で、口縁部はそれほどでもないが、下部から底部にかけて厚みが増していく。素焼きを省略した生掛けで、釉にあたたかみがある。大ざっぱな感じにスイセン(カキツバタかハナショウブという説もある)を正面に二株、裏面に一株えがく。水平に筋がはいっているが、これはろくろでひいた跡だろう。高台がややひしゃげているのは、土が温度に耐えられなかったのか。これらすべて含めて、素朴な味わいを感じる。初期手のそば猪口ともいい、製作年代は17世紀末〜18世紀前半であろう。 This soba-choko cup is called an age-zoko (raised-bottom) type, having a thicker basement than the top part. The glaze without pre-baking gives a warm feeling. Two daffodils (someone says it's iris) are drawn simply on one side and one on the other side. The horizontal lines may be caused by the potter's wheel. The bottom-most part is deformed probably due to high temperature in the kiln. These elements are enough to express a natural, primitive and simple beauty. This kind of cup is also called an early-stage soba-choko , produced in the end of the 17th century to the early 18th century.