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白岩焼の小碗 Shiraiwa-ware Small Bowls

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Three earthen bowls shown below were produced in the Shiraiwa district, Akita, Japan. Tablewares are rarer than kitchenwares like jars and bottles in the Shiraiwa pottery. The first one was certainly created by Yamate Takiji in the late 19th century because of his mark stamped near the bottom. その1 口径 15.3 cm 高さ 6.0 cm この器は食器として生産されたもので、現代の言い方をすれば小鉢のようなものだろう。器の外側の上半分と、内側全面とに青白いなまこ釉がかけられている。釉の垂れ具合、そして口縁が微妙に波打っていて、上から見ると朝顔の花のようにみえるあたりに、工人の芸術的センスが感じられる。 抹茶碗としてつかってもいいようなサイズ感である。目跡が4個ある。縁には欠けが数カ所ある。 伏せて置くとちょうど兜のような形をしている。作者の陶印が押されている。 高台の脇の部分に「ニ瀧」の印が押されていることから、これは秋田県仙北市白岩地区で幕末から明治前期に山手瀧治(やまてたきじ、1840-1906)がつくったやきものだとわかる。瀧治は白岩の名工としてよく知られた存在で、さまざまな釉薬を駆使して、装飾性に富んだやきものを多く残した。この印銘は「ニ窯の瀧治」がつくった、という意味である。ニ窯の「ニ」は、イ・ロ・ハ・ニの「ニ」で、白岩で4番目(松本運七が創始した古窯も含めれば5番目)に築かれた孫兵衛窯の別名。安政4年(1857)から明治15年(1882)まで稼働した。孫兵衛窯の廃止後も、瀧治は白岩地区内の他の窯で作陶を続け、やはりおなじ窯印を押したと言われる(以上、渡辺為吉「白岩瀬戸山」1933; 中田達男「白岩焼」あきたの工芸、156〜161ページ、秋田県教育委員会、2007  リンク )。 幕末から明...

村山地方の土人形・おかわり Another Clay Doll from Murayama District

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I showed a so-called Tsutsumi-type clay doll that was believed to be made in the Murayama district, Yamagata prefecture, Japan, together with six dolls that had been shown in my previous post. 鯛を抱える少年 #1:高さ 12.9 cm、幅 11.2 cm。 この土人形は、江戸末期から明治期に山形県村山地方でつくられたもの(いわゆる堤系人形)と考えられる。お顔や着物の柄の描き方などに、工人の熟練した技が垣間見える。色鮮やかで、いかにも楽しげな人形である。以前手に入れた人形で作風がよく似たものがあり、同じ作者がほぼ同時期につくったと考えていいだろう(下の比較写真を参照)。 手慣れた筆さばきで、屈託がない。底は閉じられていないが、これは堤系人形に一貫してみられる特徴である。 左(#2)は以前入手した土人形で、高さは 11.2 cm。これらは絵の具の色合いや作風がたいへんよく似ている。 お仲間集合 いわゆる堤系人形については すでに別の記事でいくつかの例を紹介した が、ここで改めてそれらを分類・整理してみる。 下の2つはどちらも大黒さまをかたどった土人形だが、お顔の描き方や、着物の花柄文様など、類似点が多い。粘土に厚みがあって、持ったときにかなり重みを感じるのも特徴で、どちらもおなじ作者をおもわせる。 どちらも大黒さまをかたどった人形。左(#3)は高さ 10.0 cm、右(#4)は高さ 9.9 cm。 下の3体も大黒さまとえびすさまである。左の2体のえびす像は、大きさこそ違えど、作風がよく似ており、同じ工人の作品をおもわせる。右の大黒像も同じ作者と言われればそのようにもおもえる。これらはみな薄造りで、前の2体(#3と#4)とは作行きがやや異なる。 わたしは大黒・えびすコレクターではないのだが、たまたまこのように複数の人形があつまった...

荒川銀判? Arakawa Silver Coin?

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I obtained a 5-monme (18.7 g) Arakawa silver coin from an internet auction. The Arakawa silver coin is a kind of commemorative coin minted at the Arakawa Mine, Akita, Japan, in the late 19th century. It is uncertain, however, that the one shown here is an entirely genuine one. サイズは 81.2 × 46.5 mm、重さは 18.9 g。ほぼ5匁(18.7 g)に等しい。真ん中に「一」と書かれた丸い極印と、「阿ら川」の極印が打たれる。 これは秋田県大仙市(旧協和町)の荒川鉱山で明治期につくられた、銀製の記念品・玩賞品の類で、「荒川銀判(あら川銀判・阿ら川銀判)」の名でよばれているものである。某ネットオークションで真贋不明品として入手した。 盛岡出身の実業家、瀬川安五郎(1835-1911)は、明治9年(1876)に荒川鉱山の鉱業権を得て、明治29年(1896)まで経営した。目にした文献を総合すると、荒川銀判は、 明治11年〜13年(1878-1880)にかけて、荒川鉱山での「直利(なおり;富鉱脈の発見)」を祝って瀬川がつくらせたもので、出資者や役人等に配った 明治29年(1896)、荒川鉱山を三菱に売却してヤマを去る際にもまとまった数をつくり、世話になった人たちに記念品として配った という。荒川鉱山、または近隣の畑(はた)鉱山産の銀でつくられており、ほぼ純銀に近いとされる。小判のような形をしていて、片面に槌目がほどこされる。サイズは各種あり、大きいもので50匁(187.5 g)、小さいもので10匁(37.5 g)と言われているが、過去のオークション履歴や文献をひもとくと、5匁(18.7 g)、100匁(375 g)の銀判も見出される。瀬川の店印である「◯に一」と「阿ら川」の文字の極印が打たれ、稀に「ひょうたん」の印もみられる。 右は秋田藩が文久年間に発行した「秋田銀判」で、量目は...

白岩焼の耳付き大甕 Shiraiwa-ware Big Jar with Ears

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口径 35〜36.5 cm、高さ 32.5 cm、高台径 17〜17.5 cm 全体に茶褐色の釉がかけられた大きな甕(かめ)で、容量は約1斗(18リットル)。胴の上部に線刻で波線が描かれ、また控えめながら、部分的に白釉と黒釉が流しかけられていて、よい景色になっているとおもう。左右に独特の形をした「耳」がついている。これは装飾としてだけでなく、持ち運びのしやすさという実用性も考えての細工だったとおもう。 実際のところはわからないが、たぶん江戸後期から明治前期につくられた、秋田の白岩焼だろう。高台の2か所が丸くえぐられているが、これは白岩の甕や徳利でよくみられる細工だ。かなり上出来の甕だとおもうが、それでいて上から見ると口がちょっと楕円にひしゃげていたり、高台に大きな窯傷があったりするところに、白岩らしいあたたかみ、陶工の人間味がにじみ出ているようにおもう。 窯の中での火の当たりの違いか、半面は黒っぽく焼き上がっている。フレンチクルーラーを貼り付けたようなこの装飾は、古い中国の青磁などにみられる「遊環」、あるいは器とくっついた「不遊環」に習ったものと思われる。 甕の内側の底部には、まるい小さな目跡が4個ついている。高台の一部がえぐりとられている。底部に大きな窯傷があるが、水を張ってみたところ、顕著な漏れはなかった。白岩をはじめとする地方の窯場では、必ずしも良質の陶土に恵まれていたわけではなかった。このような窯傷はよくあることで、実用上問題なければ、文句を言う人など誰もいなかったのだろう。 参考 画像1 角館の武家屋敷通りにある 青柳家 で展示されていた甕。たぶん白岩焼。2023年12月に撮影。どちらも耳付きで、胴の上部に線刻がほどこされる。どちらも内側全面に青白いなまこ釉がかけられている。いわゆる「内白、外赤」で、白岩では明治7年頃かそれ以降の製品とされる(渡辺為吉「白岩瀬戸山」、1933年)。今回紹介した甕は「内赤」なので、それより古い時代の製品の可能性がある。 画像2 おなじく角館の樺細工伝承館で展示されていた白岩焼の甕。2025年8月に撮影。やはりどちらも耳付き。左側は「ハ鉄」の刻印があ...

染付椀形猪口 松竹梅文 Old Imari Cup: Pine, Bamboo, Apricot-tree Pattern

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口径 75 mm、高さ 46 mm、高台径 36 mm 古伊万里の猪口はずいぶんあつめたので、もういいかな、と思うのだが、こういう猪口をみかけるとつい手が伸びてしまう。藍九谷の流れをくむ、17世紀後半にかかる作と考えられる。定番の松竹梅文が描かれる。高台内には二重圏線。腰の部分がほっそりした古格のあるフォルムで、品がある。さいきんは古伊万里が値崩れしている、なんて話を耳にする。たしかにこういう猪口が2万円以下で手に入るとは、いいことなのか、悪いことなのか。

尾去沢鉱山の重晶石 Baryte from Osarizawa Mine

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Osarizawa Mine, Kazuno, Akita Prefecture, Japan Size: 17 × 11 × 10.5 cm / Weight: 2.9 kg 重晶石の薄板状結晶が多数集合している。最大径 10 cm に達するかという結晶も鎮座するが、これが単結晶なのか、複数の結晶が平行連晶したものなのかは定かでない。結晶群の一面にのみ、細粒の石英と緑泥石とが入り混じったような、泥のようなものが降り積もっている。 重晶石は、日本の金属鉱山ではごくありふれた鉱物である。黒鉱型の鉱床では、おなじ硫酸塩である石膏とともに、ほぼかならず伴う。これらは海水中の硫酸基が熱水中の金属イオンと反応して生成した、と解釈できる(島崎、2016)。 鉱脈型の鉱床では、重晶石がよく出るヤマと、あまり出ない、あるいはまったくみられないヤマとがある。尾去沢は重晶石を多産した。秋田県内では、他にも阿仁や荒川など、多少なりとも重晶石を産出する鉱山が多い。いっぽう宮城県の細倉鉱山や、栃木県の足尾鉱山では、重晶石はほとんどみられない(たとえば「日本鉱産誌 B I-b」「日本の鉱床総覧 下巻」など)。こうした違いが、熱水の起源に海水がどの程度関与したかで決まる、などと簡単に言っていいのかどうか、単なる鉱物愛好家のわたしにはよくわからないが、現象としてはたいへん興味深い。 尾去沢ではこの程度のサイズの重晶石の結晶はめずらしくない。 補足 参考文献: 島崎英彦「鉱石の生い立ち」明文書房、2016年 「日本鉱産誌 B I-b」、地質調査所、1956年 「日本の鉱床総覧 下巻」日本鉱業協会、1968年 すでに紹介した 尾去沢産の重晶石標本 。サイズは小さいが、透明感がある。秋田大学鉱業博物館所蔵の標本の写真も同ページに掲載している。 鹿角市鉱山歴史館( リンク1 、 リンク2 )に展示されていた尾去沢産の重晶石の大塊の写真。2018年12月に撮影した。標本幅は 50 cm 以上はあっただろう。産出地の中啓ヒ(ヒは鉱脈のこと)は尾去沢の鉱床の東縁に位置する。各鉱脈の位置関係については こちらの記事 を参照のこと。 ...

堤の古雛 Old Tsutsumi Hina Dolls

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Shown below are old clay dolls probably manufactured in Tsutsumi, Sendai City, Japan. People displayed them for celebration at Hina-matsuri (doll festival) on the 3rd of March. 1. 女雛 高さ 10.6 cm、幅 16.0 cm、奥行き 11.7 cm 繊細なお顔の描き方、蘇芳(すおう)からとったとされる着物の独特な赤色など、江戸時代の堤人形の特徴をじゅうぶん備えている。背はそれほど高くないが、着物の裾が後ろ側にかなり広がっており、存在感がある。ふつう土人形は背面の彩色を省くが、これは全面色が塗られている。庶民(といってもそれなりに裕福な家庭だったとおもうが)のひなまつりを華やかに彩ったものとおもう。 骨董市でこれ一点のみ手に入れた。現在、仙台市でつくられている堤人形にもこれとおなじ型の人形があるようだ。 2. 小さな男雛 高さ 10.1cm、幅 9.8 cm、奥行き 5.3 cm 面相や着物の色あいなどからして、これも江戸期からせいぜい明治初期頃の堤だろう。着物にはなにか花火のような文様が描かれているが、これは菊の花が簡略化されたものかもしれない。背面も彩色されている。かなり小型の雛人形である。すでに示した女雛よりは安価で、量産されたタイプだったと想像する。 これも別の骨董市で、これ単独で手に入れた。天神さまのようにも見えるが、着物に梅鉢文様が描かれていないので、雛人形と考えられる。ネットで画像検索すると、仙台市歴史民俗資料館の所蔵品に類品があるようだ( こちらのページ を参照)。 3. 大きな男雛 高さ 14.6 cm、幅 16.0 cm、奥行き 7.0 cm これはネットオークションで産地不明の人形として手に入れたのだが、全体のつくり、とくに襟のあたりの表現は、堤人形、または堤の影響を強く受けた産地の人形であることを示唆する。裏面の彩色を省略していること、絵の具の質感も前の2つの人形とは異なることなどから、やや時代の下った、明治頃の作と考えられる...

不老倉鉱山の銅鉱石 Copper Ore from Furokura Mine

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I described a piece of copper ore that was collected from the Furokura mine, Japan, nearly a hundred years ago. Chalcopyrite crystals have mostly been changed to chalcocite probably because of secondary enrichment process. Mineral specimens from Furokura are now quite rare. Furokura Mine, Kazuno, Akita, Japan (秋田県鹿角市 不老倉鉱山) Size: 16.5 × 11 × 7 cm 秋田県北東部に位置する不老倉(ふろうくら)鉱山の鉱石標本。石英と緑泥石に富む鉱脈の晶洞に、黄銅鉱が多数結晶したもので、結晶サイズは最大で 3 cm に達する。黄銅鉱は全体的に青黒く変質している。元の結晶の形は保ちつつ、表面が輝銅鉱に変化しているようだ。輝銅鉱の仮晶(仮像)と呼んでも差し支えないが、変質の度合いは完全でなく、中心部には黄銅鉱成分が残っているようにおもわれる。 最初の黄銅鉱がどのような結晶面をもっていたかは、いまひとつ定かでない。正四面体の各面をさらに三分割したような凸面体(十二面体)の一部があらわれているように見える箇所があるが、断定できない。「耳付き双晶」に似た結晶も見られる。 これと同じような銅鉱石は、近隣の尾去沢(おさりざわ)鉱山でも産出した。とくに方鉛鉱後の輝銅鉱仮晶、いわゆるハリス鉱(Harrisite)は、他ではあまり見られない珍品で、和田標本(三菱マテリアル所蔵)などの古い鉱物コレクションにはたいてい収まっている。 別の角度から見た画像。結晶の表面はざらざらしている。 標本の側面。紫色に輝く部分は斑銅鉱(いわゆるピーコック・オア)だろう。 標本の裏側。黄鉄鉱に加えて、緑泥石とおぼしき緑色で細粒の鉱物がみられる。不老倉鉱山の銅鉱脈は、緑色凝灰岩中でとくによく発達していたという。この標本からもそのような産状が推察できる。 不老倉鉱山は、鹿角市大湯地区から安久谷(あくや)川に...