白岩焼のかめ Shiraiwa Earthen Jar

Height: 17 cm / Width: 20.5 cm

全体に黒味のつよい飴釉がかかった中型のかめ(甕;一般的には「壺」と呼ぶべきかもしれない)。モノトーンと思いきや、肩の部分に波線がフリーハンドで大様に刻まれている。ちょっとモダンな印象で、センスの良さが感じられる。ぱっと見、九州あたりのやきもの?と感じる部分もあるが、底部の鉄釉(赤釉)のかかり方や高台の一部を丸く切り欠く細工、胴まわりの3本の線刻などに、秋田の白岩焼の特徴がにじみでている。地元の古物商もそう言っていたので、白岩焼でほぼまちがいないかとおもう。

A mid-size jar almost entirely covered with dark brown syrup-like glaze. A vague wavy line engraved on the upper part of the body gives an impression like a modern art. It resembles a Kyusyu (western Japan) earthenware, but iron (red) undergraze around the bottom part, a decoration of cutting off a part of the bottom rim, and three parallel lines around the body are all characteristics of the Shiraiwa ware, which was suggested by an antique dealer in Akita.

一部窯変が出ている。底部の細工や下釉の感じはいかにも白岩焼である。縁に欠けがあったようだが前の所持者がじょうずに補修している。 A different color appeared in a kiln. The bottom part is very Shiraiwa-like. A part of the top rim is repaired.
内部にも鉄釉がきれいにかかっている。小さな丸い目跡が4個みられるが、この目跡の形も古い白岩焼の特徴に合致する(宮本康男「白岩焼と楢岡焼」秋田手仕事たより 11号、秋田手仕事文化研究会、2000年)。 The inner part is homogeneously glazed. Four small circular marks show a different earthenware was placed there in a kiln. The circular shape is characteristic of Shiraiwa.

白岩焼のみならず、一般に東北の古陶は、その美術的価値が広く認められているとは言いがたい。古陶といっても江戸後期から明治が最盛期で、もっと歴史の古い中部〜西日本のやきものと比べると格が低く見られがちだ。なにしろ地元でも気に留める人は少ない。徳利やかめといった田舎の日用品など、人様に見せるようなものではないと考えるのは、ある意味当然のことである。

しかしすくなくとも白岩に関して言えば、ごくたまにハッとするような、瀬戸や唐津にも負けないくらいの佳品に出会うことがある。白岩の主力生産品である徳利やかめには青白いなまこ釉がかけられるのが常だが、中には(おそらく何10個かに1個くらいの割合で)本当に美しい色合いの見事な作品が見出される。白岩ではこのかめのような飴釉や、他にも黒釉、緑釉、青瓷(青磁)釉などもつかわれたが、それらはある程度単価が高いと考えられる少数生産品に多く見られ、やはり魅力的なものが散見する。線刻による細工を施した器も見事なもので、角館の樺細工伝承館などで実物を見ることができる。

ここで紹介したかめもそうした「佳品」に属すると言えるだろう。端正な形や線刻の細工、土や釉薬の上質さは、いわゆる雑器とは違う、特別な製品だったことを思わせる。図録などをみるとこのような高さ5〜6寸のかめの類例がけっこうある。たとえば茶席でつかう水指とか、なんらかの特別な需要があったのかもしれない。

Shiraiwa or more generally old Tohoku potteries tend to be undervalued compared to more historically precious ones in Japan's central and western regions. It is natural for local people to think their daily-use earthenwares as cheap worthless things. In respect of the Shiraiwa ware, however, I have met fine pieces at times which might be superior to Seto and Karatsu. There are really beautiful bluish white namako-glaze bottles and jars perhaps at a rate of one out of some dozens. Some specially made products with dark brown, black, or green glazes are attractive. Fine earthenwares decorated with engraving technique can be seen at the Kabazaiku Museum, Kakunodate. The jar shown here is also an example of such fine works of Shiraiwa. There might be a special demand for this size of jar that could be used as a water jar in tea ceremony.

補足

  • 下の画像は「白岩瀬戸山 復刻版」(満留善、1979年;原著者は渡辺為吉、1933年)より転載した「葡萄文かめ」。高さは 18 cm で、ここで紹介したかめと大きさは似ている。「宝タ」の印銘があるので作者は高橋多吉郎とわかる(「白岩焼の刻印について」を参照)。「白岩瀬戸山」によると、多吉郎は文政6年(1823年)生まれ、慶応4年(1868年)没。安政4年(1857年)に兄の多市郎が築いた「ホ窯」を実質的に経営した。おそらくその窯で焼いた作品だろう。仙北市の有形文化財に指定されている(「せんぼく探訪」vol.25)。

    「白岩瀬戸山 復刻版」より転載した「葡萄文かめ」。葡萄(の葉っぱ?)を線刻であらわし、全体に鉄釉をかけ、さらになまこ釉で荒っぽく文様を描いている。大きさ的には本文で紹介したかめと似ていて、類品と言えるだろう。
  • 白岩焼勘左衛門窯(ハ窯)の陶工だった渡辺雄之助の孫にあたる渡辺為吉は、自著「白岩瀬戸山」の中で以下のように述べている:

    陶工も下手ではなかった。芸術的の創作は別として、普通の細工ものとして、現在の遺品を見ても、決して他地方のものにくらべて劣ってはいない。(中略)技巧を要するものにしても、近代の山手瀧治のような手ききもいた。(中略)誰の指導も受けずに、いろいろな工夫をこらしたその手腕は、見上げたものである。かような人こそ、適当な指導者と支援者がいたなら、なお多数の逸品を今日にのこしただろう。日用雑器に一生を終わらしたのは残念である。

    白岩焼は明治33年(1900年)に廃絶してしまった。為吉は、このことについて身内の視点からかなり辛辣な評価を下しつつも、いっぽうですばらしい白岩の伝統が途絶えたことを惜しみ、いつの日か子孫たちが再興する日を夢見て、筆を置いている。そしてその約40年後、渡辺すなお・敏明両氏の尽力によってその夢が現実となり、白岩焼和兵衛窯として今日にいたっていることは感慨深いものがある。

  • よくある白岩焼の器は、鉄分を多く含んだ土に灰などの融剤を調合した鉄釉を下がけして、その上にいわゆるなまこ釉をかけて焼く、と言われている(宮本康男「白岩焼」秋田手仕事たより 10号、2000年)。この下釉は、柿釉、泥釉、ドベ釉などいろいろな呼び方があるが、基本的には似たようなものだと思う。「白岩瀬戸山」では赤釉と呼んでいる。この赤釉は、産地による違いが意外と顕著で、白岩なら白岩の独特の味わいがある。わたしは実のところ、白岩の赤釉が大好きである。白岩地区には昔マンガン鉱山があり、二酸化マンガン・水酸化マンガンを掘ったようだが、もしかすると原料の土になにか特別な成分が含まれていたのかもしれない。