小坂鉱山 Kosaka Mine
秋田県北東部の北鹿地方を旅した。このあたりは金・銀・銅・鉛などの金属鉱山が密集しており、とくに明治から昭和前期の80年くらいの間、日本の産業をそれこそ地の底から支えた。それらはすべて閉山しているが、そのうちのひとつ小坂鉱山跡をたずねた。
I travelled around Hokuroku area (the northeastern part of Akita prefecture), where many metal mines were active especially from the late 19th century to early 20th century and they pushed Japanese industry. Here is a report on one of those metal mines, Kosaka.
小坂鉱山は鹿角郡小坂町にある。東北自動車道の小坂インターをおりてすぐで、大館能代空港まで秋田自動車道(現在は無料で供用中)もつながっている。以前は大館まで小坂鉄道が通じていたがすでに廃止され、路線バスに置き換わっている。鹿角郡には小坂町しかない。以前はたくさん町や村があったが、他はすべて合併して鹿角市に統合した。いっぽう小坂町には、小坂鉱山の成功で礎を築いたDOWAホールディングス(旧藤田組、同和鉱業)があり、いわゆる企業城下町として、独立した町制をつづけている。
Kosaka mine is located in Kosaka Town, Kazuno County. It is close to Kosaka Interchange of Tohoku Highway, and easy to come from Odate Noshiro Airport by Akita Highway. There was a railway to Odate but it has been discontinued. Kosaka is the only Town/Village in Kazuno County. There were many Towns and Villages but they have been unified into Kazuno City but Kosaka where DOWA Holdings (former Fujita-Gumi and Dowa Mining Co., Ltd.) greatly drives economy.
小坂町立総合博物館「郷土館」 Kosaka Local Museum
鉱山の町・小坂の博物館は、展示内容のかなりの部分が小坂鉱山に関連している。江戸から明治初頭にかけては、黒鉱型鉱床の本体ではなく、表層の酸化帯に生じた土鉱を採取し、おもに銀を産出していた。黒鉱とは方鉛鉱、閃亜鉛鉱など多種類の金属鉱物が密雑した鉱石だが、当時はそれを製錬するすべがなく、価値が認められていなかったのである。黒鉱が風化、分解したものである土鉱は、おそらく銀原子が遊離していて利用しやすかったのだろう。
A considerable part of the museum’s display relates to Kosaka mine, which is known as a representative kuroko mine. From the end of Edo to the beginning of Meiji periods (mid 19c), doko (“soil” ores composed of secondary minerals after kuroko) was mined to get silver and other metals. Kuroko is a complex sedimental ore body composed of sphalerite, galena, and many other minerals, but the miners at that time didn’t recognize its value because they didn’t know the way of smelting.
官営だった小坂鉱山は1884年藤田組に払い下げられるが、土鉱はすぐに尽きた。そこで大量にある黒鉱を利用すべく、研究の末、ついに製錬法を見出し、以後、大々的に銅山として発展した。主力の元山鉱床は地表に近かったため、露天掘りを採用した。鉱床をとりまく山肌を大きくすり鉢状に掘り、黒鉱・黄鉱・珪鉱をねこそぎ採取した。元山を掘り尽くすと、鉱石の供給元は支山である花岡鉱山にうつり、小坂は製錬所として発展した。戦後、元山の南方 2 km ほどのところの地下に上向鉱床や内の岱鉱床が発見され、こちらは坑道掘りされた。採掘を終了したのは1990年、いまから約30年前のことである。現在は、廃棄物からレアメタルを含む多種類の金属を抽出するリサイクル事業が主力である。都市鉱山ということばもあるとおり、電子機器その他のさまざまな廃棄物はまさに現代の黒鉱といえ、その製錬事業はDOWAグループの面目躍如といったところだろう。また元山の露天掘り跡は、廃棄物の最終処分場として利用される予定である。
Kosaka was managed by the government at first but sold to Fujita-Gumi in 1884, when doko was about to be exhausted. The company succeeded in utilizing the abundant kuroko after investigation of the smelting method. Motoyama kuroko deposit was developed by opencast mining. After Motoyama was completed, the ores were transported from Hanaoka mine in Odate City, and Kosaka developed as a refinery. After the Pacific War, Uwamuki and Uchinotai deposits were found near Motoyama, but the mining activity was completed in 1990. DOWA Holdings becomes a company producing metals (including rare metals) from waste materials. Motoyama area is used for a disposal site.
この手の地方の資料館といえばいかにも古臭い、入った瞬間カビの匂いがする薄暗い展示室を想像するが、最近の博物館学・プレゼンテーション術の進歩は相当なもので、ここ郷土館もなかなか洗練された展示がなされていて、感じ入った。もちろん鉱山関係以外にも、小坂の自然、歴史を紹介する展示も多数あり、観光施設としてもぜひ訪れるべきところだ。
The display in Kosaka Local Museum is well organized and good for tourists.
旧小坂鉱山事務所 Former Kosaka Mine Office
1905年に建てられた木造の洋風建築で、国の重要文化財になっている。小坂は観光地としても魅力ある町だ。十和田湖への玄関口のひとつであり、また小坂鉄道の廃線を利用した「レールパーク」、1910年築の芝居小屋「康楽館」などが「明治百年通り」沿いにならんでいる。この旧鉱山事務所は、もともと製錬所内の敷地にあったのが、観光資源としての価値を見いだし、おなじ通り沿いに移築したもの。大変立派な建物で、当時の藤田組がここ小坂で相当の経済的成功を収めたことがうかがわれる。露天掘りは、天候の影響を受けるものの、坑道掘りにくらべてコストは格段に安くすむので、他の日本の銅山に対して高い競争力をもっていたのだろう。
Built in 1905, the mine office was moved from the refinery area to “Meiji 100-year” street where tourists facilities such as Kosaka Rail Park and Korakukan theater gather, and has become a national heritage. The appearance implies that the company did a successful business probably because they operated opencast mining that is cheaper than tunnel mining.
中は資料館と物産館になっている。「郷土館」は自然科学的な側面を重視しているが、鉱山事務所のほうは小坂の町の文化的な側面に重きをおいているかんじだ。明治初頭、日本政府は鉱業を振興するために外国から技術者を呼んで、各地の鉱山に派遣し、最新技術を導入した。いわゆるお雇い外国人である。小坂にはドイツ人技師クルト・ネットーが赴任し、製錬所の設計に携わった。高瀬博「王将小坂鉱山〜そのあゆみと黄金時代の回想」(よねしろ書房、1983)によると、月給は大臣なみ、豪華な洋風の「教師館」に住み、住み込みの側女(?)もあてがわれて、赴任した4年間に娘ももうけた、というからたいへんな高待遇であったらしい。
The building is used as a museum and a shop. The museum focuses on cultural aspect of Kosaka in contrast to Kosaka Local Museum rather focusing on scientific aspect. Meiji government invited foreign engineers to promote Japanese mining industry late in the 19th century. In the case of Kosaka, a German metallurgist Curt Netto came to design a refinery. According to a book written by a local writer Hiroshi Takase, Netto got a salary as much as a cabinet minister, lived at a specially designed gorgeous residence where a young local woman lived with for housework, and they had a daughter during his four-year stay in Kosaka.
小坂鉱山と製錬所 Kosaka Mine and Refinery
小坂鉱山はいまでも製錬所や廃棄物の処理場として稼働中であり、敷地内に一般人が立ち入ることはできない。公道から見学するのみである。鉱山を見下ろす高台に立つ「山神社」は、建前上宗教施設ということで、一般人も立ち入ることができる(冒頭の写真)。いまはだいぶ山に緑がもどっているが、20世紀初頭の鉱山全盛期は製錬所の煙害のため、ほとんどハゲ山だったという。農作物の被害は甚大で、周辺地域の農民との衝突もたびたび起こった。まだ法律も未整備だったこともあり、すぐに補償金による解決、とはならなかったようだ(前掲の高瀬の著書より)。いっぽうで鉱山側も、その代償というわけではなかろうが、電気や水道などのインフラ、病院や学校などの公共施設、劇場など、つぎつぎと最新の設備を町に整えた。鉱山は町の誇りであるいっぽう、人によっては受け止め方も異なったろうし、複雑なところだろう。
Kosaka refinery is still active and we cannot enter the former mining site. There is the mine shrine on a hill (see the photo at the top). In the early 20th century when the mine was most active, there were no trees in the mountains because of smoke pollution. Troubles about compensation for crop failure occurred between the local farmers and the company. The company, on the other hand, constructed electric and water equipments, schools, hospitals, and theaters. People were proud of the mine but some had mixed feelings.
山神社から谷を一筋はさんだ東側の丘の上に「誓いの碑」がたっている。これは鉱山経営で一時代を築いた企業の弁というよりは、むしろ人類の過去と未来を端的に言い表しているように思えるので、以下に引用する:
美しき峰々が広がるここ小坂の地は、明治十七年当社の前身藤田組が官営鉱山の払い下げを受けて以来、百二十二年間地域と一体となって鉱山製錬事業を営み、日本の産業を支えてまいりました。しかし、掛け替えのない四季折々の花鳥風月を、黒き丘に変貌させてしまうものでもありました。
時代は、地球温暖化、資源枯渇、土壌汚染など山積された問題の解決と、自然との共生を望み、大きな変革の時をむかえております。
私たちは、大切な次代の子供たちのために、地元の夢と期待に応えるべく、県北部産業の中心的な役割を担い、リサイクル事業を中心とする環境に優しい循環型社会の構築を目指します。
当社発祥の地 小坂を、春夏秋冬豊かな自然の息吹きと、力強い地球の鼓動を聞くために、覆土植栽を施し、再び開発することなく「ふるさと秋田」にふさわしい、モデル地区にすることを宣言いたします。
たおやかな小坂の風景と歴史を一望しながら
平成十八年九月十八日
同和鉱業株式会社 代表取締役社長 吉川広和(署名)