山形と秋田の古いやきもの Old Ceramics from Yamagata and Akita

その後も東北のやきものを地道にあつめている。以下の4点はいずれも19世紀か、または20世紀のほんのはじめ頃に山形・秋田地域でつくられたものと考えられる。

My collection of Tohoku ceramics is steadily expanding. The ceramic wares shown below were considered to be baked in the 19th century or just the beginning of the 20th century in the Yamagata and Akita regions.

1. 平清水の納豆鉢 Hirashimizu Natto Bowl

口径: 32.5 cm / 高さ: 8.3 cm

明治から大正期につくられたとおもわれる平清水焼の大皿で、地元山形で「納豆鉢」と呼ばれているもの。山形あたりでは盆や正月に親戚があつまるとみんなで餅を食べる文化がある。あんこ餅、きなこ餅、枝豆をすりつぶした餡でくるんだぬた餅(ずんだ餅)など各種あるが、この皿は適度な深さがあって、とくに納豆餅をふるまうのに都合がよいのでこの名がある(たぶん大量の納豆をねぎとともにこの皿にぶちまけて、しょう油等で味つけし、餅をいくつも放りこんでからめれば完成するのだろう)。古道具店などで何度か目にしたことがあるが、陶土の質があまりよくなかったか、あるいは焼きが甘いのか、軟質なものが多く、無傷のものはまれのようにおもう。この器にも数か所ひびがはいっているが、むしろ窯傷に近い感覚で、状態はよいほうだろう。白化粧の上に描かれるあざやかな草花と蝶の絵は、とてもていねいであたたかみがあり、見慣れてくると愛着がわいてくる。東京有明でやっていた骨董グランデにて、地元山形の業者から手にいれた。

This kind of large Hirashimizu bowl is locally called natto bowl because it was used to serve natto mochi (rice cakes) in the Yamagata area. People in Yamagata have been known to be very fond of mochi with sweet azuki beans, kinako (soybean flour), mushed edamame (green soybeans), and, of course, with natto (fermented soybeans). I have seen some natto bowls in antique shops, but they usually had cracks because of relatively bad clay property. This bowl also has cracks but they seem to be native ones. The blue flower and butterfly drawing on a white engobe is so nice that I am getting attached to it.

手慣れた絵付け。白化粧のホツレが灰色のシミになっているが、これこそ平清水の味である。
裏面はうすく飴釉がかかっている。
皿というより鉢に近い。かなり厚手で重みがある。

2. 平清水の徳利 Hirashimizu Bottle

高さ: 19.5 cm / 胴径: 13 cm

西荻窪の骨董商によるとこれも平清水焼である。徳利としては小ぶりなほうで、容量は 1 リットルほど(5合半)。前の納豆鉢とは違い、こちらはほとんど磁器といってもいいくらいに、硬く焼きしまっている。平清水の窯元がある千歳山には陶石も産出し、磁器もつくっていた。(もってないけど)朝鮮の白磁にもひけをとらない味わい深い器だとおもう。

An antique dealer at a shop in Nishi-Ogikubo, Tokyo, said this bottle was made in the Hirashimizu pottery. This is relatively a small bottle that contains about one liter. In contrast to the former natto bowl, the ceramic property is close to porcelain. In fact, Chitose-yama near the Hirashimizu pottery produced not only clay but also porcelain stone. I think the quality is not inferior to Korean white porcelain.

平清水の土には鉄分が多く含まれると言われているが、これはよく精製されている。口に巻かれた棕櫚縄は当初からのもの。

3. 仙北地方の徳利 Senboku-region Bottle

高さ: 30.5 cm / 胴径: 17 cm

とある骨董市で、やきものはくわしくないから何も聞かないでくれ、というおやじの店で手に入れた。容量は一升あまり。すでに所持している徳利とは、形状こそやや異なるが、釉薬や、口や高台のつくりなど、類似点が多い。秋田県の白岩焼だとおもうが、楢岡焼の可能性も否定できない。

I bought it from a dealer who said he did not know ceramics very much so couldn't answer to any question. The volume is over 1.8 liter. The glaze and the decoration of the top and bottom parts are similar to those of another bottle that I think was made in the Shiraiwa or Naraoka pottery, Akita.

海鼠釉の発色はあまりよくない。ひょろりとした鶴首が特徴的。
かりっとした焼き上がり。
前に紹介した徳利(右)との比較。うわぐすりの質はとてもよく似ている。

4. 仙北地方の片口 Senboku-region Lipped Bowl

口径: 22.8 × 20.4 cm / 高さ: 10 cm

この片口も秋田県の白岩焼か楢岡焼と考えられる。内側は海鼠(なまこ)釉で、外側はほぼ全面鉄釉がかかっている。口のあたりに海鼠釉が斜めに垂れており、よい景色になっている。縁に釉薬がかかっていない、素焼きの部分が露出していて、製作手法が推測できて興味深い。一本ニューがあって、接着剤で補修した跡があるが、そのほかはキズがなく、いまとなっては貴重な品だ。先日の目白コレクションで手に入れた。

This is also a ceramic ware made in the Shiraiwa or Naraoka pottery. The lipped bowl is decorated with namako glaze inside and with iron glaze outside. The glaze near the lip drops in an exquisite way. It is interesting that there remains an unglazed part at the rim that indicates the production process. There is no flaw except for a crack at the rim that is repaired with a glue. It is rare to see this kind of old lipped bowl that is almost complete.

片口は口に当たりがある場合が多いが、これはほぼ無傷。釉薬の垂れ具合がおもしろい。
これも前の徳利と同様上がりがよく、爽快感がある。
内側は海鼠釉が厚くかかっている。目跡は5個で、形は角ばっている。

補足

  • 平清水焼と秋田の白岩焼・楢岡焼については以前の記事を参照のこと:

  • 納豆鉢(納豆皿)の類例は山形県立博物館の収蔵資料データベースで画像をみることができる。執筆時点で確認できる全19点のうち、成島焼が2点で、他はすべて平清水製。相当の需要があったことがうかがえる。

  • 小野正人「北国秋田山形の陶磁」(雄山閣、1973年)によると、明治中頃の平清水には「磁器生産者20戸、陶器業者10余戸」があり、前者は「京風や有田風の卓上食器」を、後者は「瓶、擂鉢、片口、中、大皿などの台所用品」をつくった。しかし20世紀になるとしだいに衰退し、大正2年(1913年)に至って磁器業者はすべて転廃業し、残った陶器業者も8戸に減ったという。平清水製の食器類は一見すると「瀬戸物」と見分けがつかないので、いまではほとんど認識されることもない。納豆鉢や真っ白な片口のような特徴的な製品以外にも、平清水は多くのやきものを生産した。

  • 山形県民は、なにかにつけて餅を食する自分たちの習性をあまりにも当然のことと考えているらしく、あらためてそのことについて記した文献が少ない。県外の人間からすると、実態がよくわからない。

    • 矢口中三「真室川の方言・民俗・子供の遊び」(安楽城民俗刊行会、1978年)は餅食文化についてかなりのページを割いている。ハレの日には餅が欠かせず、昔は年に36回以上も餅つきをしたという(運動会でも餅つきをした)。これはかなり「盛った話」かとおもうが、それでも月1回以上餅をつくというのは、ちょっと前の山形ではふつうのことだったようだ。餅をたくさん食べる人はみんなに尊敬された。とくに納豆餅はのどごしが良く、するするとたくさん食べられるので好まれたという。

    • 近年では日本テレビの「秘密のケンミンSHOW」で度々紹介され、地元民も、自分たちの餅好き度合いがいささか度を越していることを再認識しているようである。

追記(2023年12月21日)

  • 秋田手仕事文化研究会が定期的に刊行している(いた?)「秋田手仕事たより」のバックナンバーを数冊手に入れた。その中で宮本康男氏が秋田のやきものについて連載している(第10号 2000年9月〜第19号 2001年6月)。とくに白岩焼と楢岡焼ついて述べた記事(第11号 2000年10月)によると、これら2つの窯の製品には、おおまかには以下のような違いが見られる:

    みどころ白岩焼楢岡焼
    胎土 きめ細かい 砂目の土(※1)
    器の大きさ 小物・中物が多い 大物が多い
    器の厚み 薄い 厚い
    高台の造形 シャープに削る ぺったんこ
    目跡の形(※2) 丸い 三角や台形
    (※1)耐火度をあげるため。なお楢岡焼開窯当初はきめこまかい半磁器製品が多くみられる。(※2)カメや鉢などを重ね焼きするときにつかうトチンという窯道具の足の跡。器の内面につく。窯詰めしたとき一番上の器にはこの跡はつかない。

    釉薬にも違いがあると思われるが、同じ窯でも焼成時の温度や雰囲気などによって生ずる変化のほうが上回る場合が多いので、なんとも言えないという。それほど白岩と楢岡の見た目は似ている。またどちらの窯も長い歴史があり、時代ごとの変遷があった上、複数の窯元が存在してお互い独自性を出していた時期もある(白岩は最大で6窯、楢岡焼も4窯あった)ので、上にまとめた相違点がどれくらい一般的に通用するのかはケースバイケースだろう。

    以上をふまえた上で、3の徳利についてみてみると、白岩かなという気がする。4の片口は目跡の形からして楢岡かなとおもう。胎土もやや砂っぽさが強く感じられる。