平清水の古いうつわ3点 Old Hirashimizu Ceramics

東北のやきものへの興味はいまだ衰えず、またしても以下のような品物をあつめてみた。たぶんすべて山形県山形市の平清水焼の古い器である。

My thirst for Tohoku folk potteries still continues. All the ceramics below are probably from Hirashimizu, Yamagata, Japan.

1 白釉片口

20世紀はじめ頃 Early 20th century
口径 top size 14 × 15 cm / 高さ height 7.5 cm

この真っ白に化粧がけされた片口は平清水独特のもので、すくなくとも東北の古いやきものの中では美術的な評価が比較的高い。日本民藝館所蔵の同手のものが1930年代の製品とあるので(「東北へのまなざし 1930-1945」展覧会図録、日本経済新聞社、2022年)、せいぜい明治末から昭和初期あたりのものだろう。すでに紹介した灰色の釉薬がかかった片口よりは時代は新しいものとおもわれる。マットな白釉のなんてことのない量産品だが、ところどころ虫食いがあってその周辺に灰色のしみが出ているようすは、いわゆる雨漏手にも似たわびさびを感じさせ、現代の器とは一線を画する手仕事の美にあふれている。容量は2合に満たないくらいで晩酌につかうにはじゅうぶんなサイズだ。

平清水は千歳山の豊富な陶土にめぐまれ、江戸後期から明治にかけて東北の一大窯業地として栄えた。最盛期は20基以上の窯が林立していたといい、現在も2軒の窯元が存続する(「山形県ふるさと工芸品」のページなど)。平清水は東北古窯のなかでも磁器を多く焼いた産地としてしられる。江戸時代中期までは磁器は高級品であって限られた階層にしか流通しなかったが、19世紀になると日本各地で磁器生産が本格化し、徐々に人々のあいだに浸透していった。明治になると真っ白で堅牢な磁器に対する人気はいよいよ高まり、それまでの土物の陶器は「土器」などと称して見下されていた節がある。平清水の磁器生産も幕末から明治中期にかけて最盛期を迎えたが、瀬戸や関西方面の大量生産品に価格や品質の面で太刀打ちできなくなり、陶土の品質を落とすかわりに器に白化粧をほどこして磁器に似せた製品を数多く生産するようになった。青いコバルト顔料で染付風の絵つけをした皿、鉢、徳利などが代表的で、ここで紹介した白釉の片口もそうした時代の製品のひとつである。

補足:たとえば「秋田県史 第七冊」の「陶磁器」の項(294ページ、大正6年=1917年)は当時の秋田県下の窯業の状況を述べているが、旧来の白岩や楢岡などのやきものについては、「その他土器には、仙北、平鹿、雄勝等において旧式窯あるも、特記するの価値なし」と断じている(白岩と楢岡は旧仙北郡)。東北に限らずこうした地方の古いやきものの価値が人々に認められるのは1920年代後半以降、柳宗悦らの民藝運動が世に広まってからである。

This kind of lipped bowl is typical of the old Hirashimizu and is relatively highly rated in antique market. I have shown a similar bowl in my previous post that was glazed gray, but this entirely white example is probably a newer product in the beginning of the 20th century or so because a similar lipped bowl owned by the Japan Folk Crafts Museum, Komaba, Tokyo, was recorded it was made in 1930s. This is a simple white ceramics, but it is full of beauty of old-time hand-made crafts, having several gray spots caused by impurity in clay. It contains about 300 ml, which is enough for me to drink sake.

Thanks to plenty of clay at Chitose-Yama, Hirashimizu was one of the centers in Tohoku ceramic industry in the 19th century. It is notable that Hirashimizu produced porcelain as well. People in the 19th century seemed to want white porcelains and to disregard oldish dark-color earthenwares. Porcelain production in Hirashimizu was most active in the mid 19th century, but it decreases because of price and quality competition against larger-scale potteries in the central Japan. Instead, Hirashimizu came to produce cheap white-glazed ceramics with blue-color decoration that looked like porcelain. This lipped bowl was a product in such times.

高台の脇には指跡がのこる。

2 黄釉片口

20世紀はじめ頃? Early 20th century?
口径 top size 17 × 18.5 cm / 高さ height 8 cm

わたしはまだやきもの収集の初心者なので断定こそできないが、これも平清水産ではないかと想像する。まずこの器は1個目の白釉片口といっしょに秋田の業者から手に入れた。おそらく出どころもおなじだろう(平清水の製品は地元山形のみならず東北隣県にも出荷された)。つぎに陶土がきめ細かく堅く焼きしまっていること、黒い点々が不純物として含まれていること、高台のつくりなど、わたしの浅い経験を総動員する限り平清水の特徴を多少なりとも備えているようにおもう。ネットを検索するとこの手の片口は20世紀初頭の瀬戸焼とされることが多いようだが、平清水焼として売っている地元業者の例も発見した。当時は瀬戸・美濃の下りものも大いに流通しており産地は不確かだが、製品自体は堅牢で清潔感もあり、食卓の器としてじゅうぶんつかえる。

I guess that this one is also from Hirashimizu. First, I obtained it together with the above white lipped bowl from a dealer in Akita, a prefecture next to Yamagata, suggesting both of them were from the same pottery. Second, I found some similarities to other Hirashimizu ceramics; for example, the hard well-baked body, inclusion of black impurities, and the style of the bottom circular part. I found a local dealer who sold a similar lipped bowl as a Hirashimizu-ware in the internet.

玉縁になっていて、器に穴をあけて注ぎ口を接着したタイプの片口だ。細工に迷いがなく、職人の手際のよさがしのばれる。

3 富士の絵 小皿

20世紀はじめ頃? Early 20th century?
径 width 14 cm

東京・有楽町で月2回ほど開催されている大江戸骨董市で手に入れた。灰緑色の釉薬がかけられた小皿で、器自体は無個性で大量生産品をおもわせる。いっぽう白土で線描きされた富士山の絵は簡素ながら人の手のあたたかみを感じさせる。こういう絵付けを「イッチン描」または「筒描(つつがき)」と呼び、東北では青森県弘前市にあった悪戸焼(あくどやき)あたりが有名だ。イッチン技法は江戸後期以降、全国の多くの窯で盛んにもちいられた。飯能市郷土館発行の特別展図録「黎明のとき:飯能焼原窯からの発信」にはイッチン描の製品の産地として80ヶ所の窯名があげられているが、そのリストに平清水はのっていない。この手の平清水焼は図録にも見当たらないし、さして芸術性も認められていないのだろう。デビッド・ヘイル「東北のやきもの」(雄山閣、1974年)によると、平清水では白化粧をほどこした炻器(せっき)の他にも素朴な民芸様式のやきものがあり、「明治、大正頃まで簡単な暗緑色の釉をかけた家庭用雑器が明るい褐色の土で作られていた」という。まさにこの小皿がその記述に該当することから、平清水の製品であることはまちがいなさそうだ。

I found this greenish gray small plate at Oedo Antique Market, Yurakucho, Tokyo. The plate itself is just an inorganic product, but the picture of Mt. Fuji gives me a warm humanity. The way of drawing with white clay is called itchin in Japanese, which was popular after the 18th century such as in Akudo pottery, Hirosaki, Aomori. David Hale wrote in a Japanese book in 1974 that Hirashimizu produced not only stoneware decorated with white engobe but also simple ceramics made from light brown clay and decorated with dark-green glaze until Meiji and Taisho eras.

胎土に黒い点々がみられるのは平清水の特徴といってよいだろう。不純物こそあれど陶土としては良質でよく焼きしまっている。

参照した書物:

  • 板垣英夫「山形県のやきもの」(平凡社「日本やきもの集成1 北海道 東北 関東」p.130、1981年)
  • 芹沢長介「東北地方の近世陶器」(東北陶磁文化館「東北の近世陶磁」p.4、1987年)