後藤焼の徳利 Goto Pottery Bottle

19th century / height: 25 cm / width: 16 cm

後藤焼はくわしい史料に乏しく「幻のやきもの」と言われている(広報てんえい、No. 629、2019年)。窯跡はいまの福島県天栄村にあり、江戸後期から明治期にかけてすり鉢やカメなどの日用品を生産した。このタイプの徳利は図録・書籍などでしばしば紹介されている有名な品で、首の部分は黒釉、胴の部分は鉄釉の上にすだれ状もしくはしずく状に青白いなまこ釉がかかっている。口造りは後藤焼に独特のものとされる(日本の古徳利、1982年)。おなじ福島県の会津本郷焼や相馬大堀焼と似た点があり、技術伝播が示唆される。やや手取りが重いものの、独特の美意識が感じられ、単なる田舎の日用雑器と捨て置くことのできない、興味深い器である。

There remain many unknowns about Goto earthenwares because of lack of historical records. The pottery was located in Ten'ei Village, Fukushima, Japan, producing mortars, jars, and various necessaries in the 19th century. This type of Goto ware has been well known, decorated with black glaze and a number of "drops" of pale blue glaze. The lip's shape is characteristic in the Goto bottle. There are similarities to ceramic wares made in the Aizu-Hongo and Soma-Obori potteries, Fukushima, indicating potters and their techniques came from there. Having a distinctive sense of beauty, this bottle cannot be dismissed as a mere everyday crockery in a rural region.

反対側。胴部には筋目がみられる。容量は1升ほど。
高台は低く、ほとんどベタ底に近い。

参考

  • 滝田項一「福島県のやきもの」(日本やきもの集成1、平凡社、134〜138ページ、1981年)によれば、築窯は寛政8年(1796年)で、白河藩の御用窯だったという。

  • 「天栄村史 第2巻 資料編I」(1986年)および「天栄村史 第4巻」(1989年)によれば、「後藤瀬戸」の名が寛政年間の古文書にあり、開窯はそれ以前にさかのぼるという。会津本郷焼よりも古いという言い伝えもあるらしい。大竹家の代々が経営したが、明治37年(1904年)の火災で廃業した。後藤焼の陶土はその後も近隣の長沼焼等でもつかわれた。

    ちなみに長沼焼は現在の須賀川市長沼(後藤地区から直線距離で 5 km ほど)に窯跡がある。17世紀中期にはすでにやきものを焼いていたといわれ、会津本郷焼との関係が深い。このあたりは東北の中でもかなり早くからやきものの技術が発達した地域である。

  • 広報てんえい、No. 629、2019年、天栄村。

  • 「日本の古徳利」(近藤京嗣・中西通 編、みちのく陶庫、1982年)や「日本やきもの集成1」(平凡社、1981年)に類品の写真が掲載されている。