方解石の小さな双晶 Small Calcite Twins
太くて短い水晶が群生し、その上を方解石が覆う。基盤側には少量の黄銅鉱や黄鉄鉱もみられる。方解石の結晶はおおむね犬牙状をなし、両錐があらわれる「完全型」も多数ある。サイズは大きいもので幅 10 mm、長さ 18 mm くらい。この手の熱水鉱脈に出る方解石としては比較的ツヤと透明感があるほうだとおもわれる。
Scalenohedral, partly doubly-terminated calcite grows on a group of short but thick quartz crystals. There is a small amount of chalcopyrite and pyrite at the base.
よくよく探すと蝶形や矢筈形とおぼしき双晶がみられる。ただしサイズはとても小さい。一般に双晶は他の単晶にくらべて大きく成長する(たとえば堀秀道「楽しい鉱物図鑑2」草思社、1997年)とされるが、これはその限りではないようだ。
I guessed that there would be very small twinned crystals. A twinned crystal generally tends to grow larger than a single crystal, but this rule does not apply to the present cases.
この標本は鉱物を専門としない古物商経由で手に入れたこともあり、詳細な産地は不明である。岩手県西和賀町から出たという情報しかない。このあたりで黄銅鉱を含むような石英脈があって方解石を多産したところ、というといくつか産地の候補がしぼられてくる。水沢鉱山は古くから方解石の産地として知られ、和田維四郎の「日本鉱物誌」でも紹介されているが、この標本のような犬牙状の結晶は記載がない。東京大学総合研究博物館のサイトで三菱所蔵の標本写真がたくさんみられるが、ここにも犬牙状の結晶は見当たらない。茨城県自然博物館には鷲合森鉱山の大群晶が展示されている。また「原色日本鉱物図譜」(和田八重造、粟津秀幸、1936)には綱取鉱山産の標本が紹介されている。これらはともに犬牙状である。鉱山の規模等もろもろの事情を勘案すれば、さしあたりの推定として、もっとも可能性が高いのは鷲合森だろう。
As I obtained this piece through a dealer who did not specialize in rocks and minerals, the locality is unknown but the last possessor seems to be in the Nishi-Waga district, Iwate prefecture, Japan. There were many metal mines in this district having produced chalcopyrite and calcite from quartz veins. The Mizusawa mine is a classical locality of calcite in Japan as was introduced in Wada's famous book, Minerals of Japan, but the crystal habits that were common in Mizusawa seem to be different. A large specimen from the Washiaimori mine can be seen at Ibaraki Nature Museum. A specimen from the Tsunatori mine was introduced in an old picture book published in 1936. The latter two examples have similar scalenohedral habit. I guess that Washiaimori is most probable.
補足
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和賀地方で産出した方解石の例。 Some examples of calcite from Waga district, Iwate prefecture.
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以前紹介した鷲合森鉱山産の方解石(茨城県自然博物館所蔵)。 Calcite from the Washiaimori mine (Ibaraki Nature Museum).
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「原色日本鉱物図譜」(和田八重造・粟津秀幸、松邑三松堂、1936年)より。1 は生野鉱山産。2 が綱取鉱山産。 From an old picture book written by Y. Wada and H. Awazu in 1936. Fig. 1: From Ikuno mine, Hyogo prefecture. Fig. 2: From Tsunatori mine, Iwate prefecture.
余談ではあるが、この本は日中戦争開戦前のかなり古い本のわりに紙質が良くカラー図版まで掲載されている。いっぽうその10年あまり後に出版された「日本鉱物誌・第3版・上巻」(1947年)は非常に紙質が悪く、いまでは茶色に焼けてパリパリである。図版も白黒で不鮮明だ。ある古本屋の主人が言っていたが、戦後まもないこの時代は物資が極端に不足していたため、古本として商売するより古紙として売ったほうが金になったという。そのくらいパルプが不足していた。敗戦のダメージというのはかくも大きかったのだと、古本を手にして実感できる。
Published before the Second Sino-Japanese War, this book still keeps good paper quality and includes many color figures. On the other hand, "The Minerals of Japan, 3rd edition" (1947) was published about ten years later, but the pulp quality was so bad that the book is now brown and hard to turn the pages. A secondhand bookseller said that it was a better business to sell old books as waste paper than to sell for readers just after the Pacific War because of the shortage of pulp. Old books tell us that the defeat in the War brought serious damage to Japan.
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方解石の結晶が2個くっつくやり方には以下の4パターンが知られている:
タイプ c軸どうしの交わる角度 双晶面 Dana & Ford の図との対応と産地の例 1 180度 c(0001) 図445と446; テネシー州エルムウッドのフットボール形 2 約127.5度 e(01-12) 図447; 鹿児島県串木野の蝶形 3 約90.7度 r(10-11) 図448 ∼ 451 4 約53.7度 f(02-21) 図452; 秋田県不老倉の矢筈形 このうちタイプ 2 がもっとも多く、つぎに 1 が多いが、3 はそれほど多くなく、4 はまれである(E. Dana & W. Ford, A Textbook of Mineralogy, Modern Asia Edition, 1959)。今回推定した双晶は 2 と 4 のタイプ。
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岩手県の旧和賀郡地域(西和賀町、北上市西部)は鉱産資源が豊富だ。裂罅充填式の熱水鉱脈鉱床のほか、黒鉱鉱床または黒鉱式網状鉱床(土畑鉱山、綱取鉱山の一部など)、スカルン鉱床(仙人鉱山)などが狭い地域に密集しており、興味深い。地質図をみると現在の湯田ダムのすぐ下流付近を中心とする南北に細長い地域に古生層が露出している。仙人鉱山の鉱床はそのうちの石灰岩帯が交代されてできた。このあたりで方解石が多産する鉱山はだいたいこの古生層に沿って分布しているようにみえる。
In the former Waga district (Nishi-Waga Town, the western Kitakami City) there were many metal deposits of hydrothermal veins, kuroko type and kuroko stockworks (e.g. Tsuchihata and Tsunatori mines), and scarn type (Sennin mine).
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矢筈形の双晶(上で述べたタイプ4)は秋田県不老倉鉱山の「足袋」がもっとも有名であるが、日本で他に産地があるかどうか定かでない。ひょっとするとこの標本も不老倉鉱山のものかもしれない。不老倉鉱山は古河鉱業が経営したが不採算のため1927年に一時休山した。そこでおなじ古河系の水沢鉱山に転勤した人がもっていた鉱石、ということはじゅうぶんにありえる。ただその水沢鉱山も1931年に休山した。この標本が100年前に採掘されたものか、と言われるとそんなに古いものではないような気もする。なお不老倉の標本も東京大学総合研究博物館のサイトで閲覧できる。不老倉の方解石はやや紅色を帯びたものが多いようで、表面が溶解して蝕像を有するものもみられる。
不老倉鉱山は戦時中帝国鉱業開発によって再開発されたが発展しなかった。戦後、古河に経営が戻り細々と稼行したが1964年頃には休山となった。その後同和鉱業系の卯根倉鉱業が不老倉北隣の鉱床を来満鉱山として探鉱・採掘した(以上「秋田県鉱山誌」より)。そこでも方解石が産出し、以前このブログでも標本を紹介した。そこで働いていた人が卯根倉鉱山に移ったときに来満の標本をもってきた、ということも考えられる。
その後入手した不老倉産の方解石双晶。