草文 碗形猪口 Leaf Pattern

17世紀後半 Late 17th century
口径 top width: 71 mm / 高さ height: 52 mm / 高台径 bottom width: 36 mm

わたしは古伊万里ののぞき猪口に大いなる魅力を感じて狂ったようにたくさんあつめているが、もうひとつ古伊万里の器で気に入っているのがこのタイプの中型の猪口である。端反りで丸みをおびた器形は持ったとき手になじみ、微かに青みがかった白磁の色にはあたたかみを感じる。正面に草が茂るようすを薄ダミで可憐に表現し、裏側にもおなじ景色を小さめに描く。このように大小の図案を表と裏にあらわし、白磁の余白を生かすのがこの手の猪口のお約束だ。高台内に一重(ものによっては二重)の圏線を引くのもこの時代の猪口の特徴である。

I am crazy to collect nozoki-type Imari cups as you see, but this type of Imari ware is also my another favorite. The rounded shape is easy to hold, and I feel warmness in subtly bluish white color. A kind of plant is drawn large on one side and small on the other side, which is a common design in this kind of Imari ware to make the white background better. Another common feature is that a single (or double) circle is drawn at the bottom.

裏側にも同じ絵柄がこじんまりと描かれる。白磁のうつくしさがきわだつように感じられる。
高台内には呉須で圏線が一重に引かれる。

この手の猪口は残っている数がそれほど多くないこと、おしなべてみな出来栄えがよいことなどから、だいたい1670年から1700年頃の比較的短い期間に集中してつくられ、富裕層のあらたまった宴席におけるお膳の向付けとしてつかわれたのではないか、と想像する。もっと古い初期伊万里の時代から碗形の猪口はつくられているが、やや様式が異なる。いずれにせよ猪口の中ではずいぶん古い時代のものである。

This kind of Imari ware is relativey rare and is generally well made, implying that it was made in a relatively short period from 1670 to 1700 and used as a small dish by wealthy people. Similar small cups had been produced since the beginning of the pottery around 1620, but the style was different.

お仲間大集合。 右上 (口径 71 mm × 高さ 49 mm)、 左下 (74 mm × 50 mm)、 右下 (79 mm × 53 mm) の猪口のくわしい記事はそれぞれクリックするとみれます。
From my collection: upper right = 71 × 49 mm, lower left = 74 × 50 mm, lower right = 79 × 53 mm.

補足

  • 三好一「そばちょこ」(保育社、1973年)に掲載されている17世紀伊万里の「縁反小碗形」の猪口。このうち「4. 秋草図」の猪口がここで紹介した手に該当する。この手の猪口は、初期伊万里やそれにつづく1650年代くらいの猪口(三好の図版の2や3)ほど古格があるわけでもなく、かといってもっと新しい18世紀以降のそば猪口やのぞき猪口ほどバリエーションに富んでいるわけでもないので、あんまり好事家の注目を浴びていない気がする。

  • 三好一「そばちょこ」より。
    From Miyoshi Hajime "Soba-choko" (1973). Fig. 4 will be similar. Figs.2 and 3 are of older style.
  • 17世紀の古伊万里で直径 7 cm 台かそれ以下の「手頃な」大きさの猪口は案外すくないようだ。大橋康二「肥前磁器の変遷:器の種類からみた」(柴田コレクションⅧ、佐賀県立九州陶磁文化館、2002年)によると、現代に伝世している古伊万里の器はお碗形のものよりも平らな皿のほうが多いが、窯跡の発掘をしてみると総じてお碗形の器のほうが多く見られるそうだ。これが何を意味するかは一概には言えないが、大橋氏は碗のほうがつかわれる頻度が高かったので破損・廃棄され、今日まで伝世するものがすくなかったのではないか、と推測している。