尾去沢鉱山の砒四面銅鉱 Tennantite from Osarizawa
黄銅鉱主体の鉱脈中の空洞に面して四面銅鉱の結晶が多数着生した。結晶サイズは 1 mm ほどと微細ながら、結晶面はたいへんシャープで文字通りおおむね四面体をなし、キラキラとした金属光沢を放っている。一部、黄銅鉱の四面体結晶もみえる。黄銅鉱と四面銅鉱との共生の感じは、前に紹介した花岡鉱山産のと共通する(ただし四面銅鉱の結晶の形は異なる)。
A part of cavity surface in a chalcopyrite vein is covered with numerous tennantite crystals that are merely 1 mm in size but showing sharply formed tetrahedral faces with metallic luster. There are also tetrahedral crystals of chalcopyrite. It is similar in occurrence to a piece from the Hanaoka Mine, Odate City, that has previously been shown.
尾去沢からは砒素に富んだ四面銅鉱が出ることが昔から知られており、添えられていた茶色くすすけた古いラベルにも「砒黝銅鉱」とある(これは砒四面銅鉱の昔の呼び名)。「日本鉱物誌」(改訂版=1916年、第三版・上巻=1947年)によると尾去沢の砒四面銅鉱はやや紅色を帯びた鉄黒色の四面体式もしくは d(110) を主面とする斜方十二面体式で、径 5 〜 10 mm に達するとある。また分析によればアンチモンをまったく含まない純粋な砒四面銅鉱だという(ただし微量の鉄は含む)。この標本に関して言えばあんまり「紅色」の感じはしない。
「南部鉱物標本解説」(原著 南部秀喜、1996年)によれば、四面銅鉱の結晶は赤沢地区の鉱脈上部で石英の結晶とともに出て、径 4 〜 5 mm だったという。尾去沢の鉱床からは砒素を主要構成元素としてふくむような硫化鉱物、硫塩鉱物はほとんど出ないが、この赤沢地区の鉱脈はやや例外的な熱水環境だったのだろう。ここで紹介した標本は鉱脈中のかけらなのでなんとも言い難いが、石英は見当たらないのでやや産状は異なるかもしれない。産出場所も別のところかもしれない。また南部が記載したときにはすでに絶産とあるので、この標本も相当古いものとおもわれる。
Wada's Minerals of Japan (revised editions published in 1916 and in 1947) wrote that tennantite from the Osarizawa Mine was a purely arsenic end-member and the slightly reddish black crystal was 5 to 10 mm in size. Nambu Hideki wrote that tennantite was found as 4 to 5 mm crystals with quartz from the upper veins in the Akasawa district. As tennantite had been extinct at the time when he wrote long time ago, this would be quite an old specimen.