白岩の豆すず Shiraiwa-ware Minibottles
The above shown small earthen bottles were made in the Shiraiwa district, Akita prefecture, Japan, in the 19th century. I guess that this kind of small gourd-shaped bottles, which are less than 9 cm in height, were seldom made in Japan except in the Shiraiwa pottery.
黒釉豆すず
この器は秋田の白岩焼で、愛好家のあいだで「豆すず」とよばれているもの。手のひらにのる小さな器で、瓢箪に似たユニークな形をしている。鉄釉の上につややかな黒釉がかけられていて、一部厚くかかった部分がしずく状に垂れている。白岩の黒釉は発色させるのがむずかしかったらしく(宮本康男「秋田の焼き物1 白岩焼」秋田手仕事たより、第10号、2000年)、このような深緑色を呈するものもめずらしくない(たとえばこちらの小すずを参照)。大きさの割りにはたいへん手が込んでいる。高台もきちんと削られている。
白釉豆すず
前掲の豆すずの同工異曲といった器。こちらのほうはかさかさした感じの白釉がかかっている。前に紹介したそろばん玉形の器の釉薬と似たところがある。この手の釉薬は白岩ではめずらしい。19世紀前半の比較的古い時代のものではないかと想像している。持ったときに重みを感じるので、前のよりも肉厚である。高台はけずられていない。
考察
これら瓢箪形の器が何の目的でつかわれたかについては、愛好家のあいだでも諸説あるようだ。酒をつぐにはあまりに小さすぎる。いわゆる油壷(整髪用の油をいれる容器)としてつかわれた、というのが通説である。実際、黒釉の器のほうは油っぽい臭いがする。栓をすれば、なにか薬や香油の入れ物につかえそうだし、書道の水差しにしてもよさそうである。
おなじ瓢形でも、もっと大きな徳利は、東北も含め、日本各地の窯でつくられている。しかしこれほど小さいものはめずらしく、白岩独特のものと言っていいだろう。山下忠平「油壷集め」(光芸出版、1974年)には油壺ばかり100点近くの写真が掲載されているが、似た形状のものは見当たらない。白岩焼は18世紀末から120年以上つづいた。この地の陶工たちは、長い歴史の中で、近隣の産地にはみられないユニークな形状の器を他にも多く生み出している。たとえば大型のどぶろくすず、そろばん玉のようなお歯黒壺など。日本の陶芸史上、あるいは美術史上、特筆すべきことがらである。
白岩焼の窯元の家に生まれた渡辺為吉は、著書である「白岩瀬戸山」(昭和8年)の中で、「窯あげの日は楽しみであった。瑠璃のような豆すずが欲しさに、友達をつれて朝から詰めかけた」と、自身の少年時代を懐古している。豆すずは非常に安価で、同書の「単価表」によれば、明治4年には1個5文だった。これはいまの金銭感覚にすれば100円以下だろう。白岩の陶工が、気前よく子どもたちに与えるくらいの、いわゆる雑器で、相当数生産されたと考えられるが、いまでは古物市場で見かけることもまれである。
いかにも愛嬌のある、かわいい器だが、こういった安価な豆すずにさえ手間ひまを惜しまなかった白岩の陶工は、コストがどうとか、労働時間がどうとか、そんなものに拘泥しない、豊かな田園の中で暮らした、おおらかな心の人たちだったのではないか、と思う。
補足
「すず」とは秋田方言で徳利のこと。「秋田方言」(秋田県学務部学務課、昭和4年)には「すず」「すんず」などの見出しがある。とくに仙北地方で「しじ」とは「大きな徳利」の意らしい。現代ではほぼ廃れた言い方だろう。もともとは「錫・酒壜(すず)」で、錫製の徳利形の酒器のことを指す古語である。
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下の画像は「白岩瀬戸山」より転載したもの。上の写真の豆すずは大きさが記載されていないが、本文で示したものとほぼ同形である。白釉がかかっている。油壺は高さ二寸四分(7.2 cm)、胴径三寸(9 cm)である。
「白岩瀬戸山」(渡辺為吉、昭和8年)に掲載の白岩産の豆すずと油壺。 -
下の画像は、雑誌「古美術 緑青」(No.26、マリア書房、1998年)に掲載の「なまこ釉瓢形油壷」。1個は高さ 7.8 cm、もう1個は高さ 8.1 cm。これらの類例から、白岩の豆すずの器高はおおむね三寸(9 cm)以下だった、と言えるだろう。
「古美術 緑青」(No.26、マリア書房、1998年)から転載した白岩の豆すず2種。







