大宝寺焼の湯通し Daihoji Rice Rewarmer
山形県鶴岡市の大宝寺(だいほうじ)で焼かれたとおもわれる古い器。見た目は小型のカメ(甕)だが、底に小さな穴が15個ほどあいており、「湯通し」の名で呼ばれている。山形県立博物館の子ども向けの解説ページによると、
湯通しは、冷たいご飯をいれ、熱湯をかけて温めるための甕形(おうけい)の器です。お湯は底にある孔(あな)から流れ出ます。(中略)さらにお湯を切ってから、それをとろ火にかけて蒸すと、炊きたてのご飯のようになる一種の蒸し器のようなものです。
ということらしい。これは小型の部類で、もっと大きいものもある。かなり需要があったらしく大宝寺焼ではよくみられる。渡辺為吉「白岩瀬戸山」(1933年)に「飯ふかし」という器が記載されているが同じものを指すとおもわれる。
この器のように青白い釉薬(いわゆるなまこ釉)を器の内外全面にたっぷりかけるのは大宝寺焼の特徴だ。焼きが甘く、指でたたくと鈍い音がする。高台の土見せはざらざらしており、陶土の質があまりよくなかったものとおもわれる。一般にガラス質の釉薬は器の強度を高める役割も果たすので、このようになまこ釉を全面に施すのは理にかなっているのかもしれない。
なおおなじ山形県の新庄東山焼にも青白いなまこ釉を全面に施す器がある。正直に言ってわたしには見分けがつかないが、骨董市でこの器を出していた日本のやきものにくわしいおやじがそう言っていたので、ここは大宝寺焼としておく。
An old ceramic jar made at Daijoji, Tsuruoka City (or possibly at Higashiyama, Shinjo City), Yamagata, Japan. The appearance is just a simple vessel, but it has fifteen small holes at the bottom part. The usage is as follows: put cold steamed rice that was preserved for a while, pour hot water and drain, and cook over a low flame to make cold rice be tasteful in the winter season. This kind of rice rewarmer was one of the main products in Daihoji. The bluish gray glaze over the whole earthenware is typical of Daihoji and Shinjo-Higashiyama.
補足
大宝寺焼について書いてある書物:
- 「鶴岡市史 上巻」(鶴岡市、1962年、652〜654ページ)と「同 下巻」(1975年、445〜446ページ)
- 犬塚幹士「大宝寺焼」(山形新聞社「山形博物誌」1978年、283〜285ページ)
- 板垣英夫「山形県のやきもの」(平凡社「日本やきもの集成1 北海道 東北 関東」1981年、130〜133ページ)
大宝寺焼の始まりは文献がなく定かでないようだが、安永元年銘(1772年)の器があることから東北のやきもの産地としては古参の部類にはいるだろう。鶴岡市の大宝寺町と新町の2ヶ所に窯があった。前者は明治20年(1887年)頃に閉じたが、後者の新町窯(五十嵐家)はその後もしばらく焼いたようだ。「鶴岡市史」は大正から昭和初期にかけてやきもの窯が数箇所あったと記しているが、それらがみな民芸調のいわゆる大宝寺焼を継承したものではないとおもう。
鶴岡市の致道博物館には大宝寺焼のまとまったコレクションが収められており、重要有形民俗文化財に指定されている。指定されている234点のうち湯通しが50点もあり(全体の約21%)、大宝寺の主力生産品だったことが推察される。致道博物館には行こう行こうとおもいつつまだ行ってない。あったかくなったしこの春にでも行ってみよう。
山形県立博物館に所蔵されている湯通しの写真は同館の民俗資料データベースにて閲覧可能。本稿執筆時点で8点が収められていて、大宝寺5点、新庄東山焼1点、その他2点である。ここで紹介したような全体に灰青色のなまこ釉がかかったものは大宝寺焼1点と東山焼のもので、その他の大宝寺焼湯通しは成島焼や秋田の白岩焼のように赤黒い下釉の上に部分的になまこ釉や白釉を施している。一口に大宝寺の湯通しといってもかなりバリエーションに富んでいる。時代による製品の違い、大宝寺窯と新町窯の違いなど、わからないことはいっぱいだ。
以前紹介した片口を再掲する。購入先の古道具商は米沢の成島焼だと言っていたが、釉薬の独特のブルーやそのかけ方、胎土の特徴など、やはりどうみても大宝寺焼(もしくは新庄東山焼)だとおもわれる。
小野正人「北国秋田山形の陶磁」(雄山閣出版、1973年)に掲載されている大宝寺焼片口の写真。致道博物館(山形県鶴岡市)の所蔵品。おそらくこれと同類のものだろう。