成島焼の灯火台と切立 Narushima Light Stand and Jar


以下はいずれも山形県米沢市でつくられた成島(なるしま)焼の古い器である。

The ceramic wares below were made at Narushima, Yonezawa City, Yamagata Prefecture, Japan.

1. 成島焼 灯火台 Light Stand

19世紀 19th century
高さ height: 25.5 cm / 口径 top width: 8.6 cm / 底径 bottom width: 15.2 cm

電灯が各家庭に普及したのは20世紀になってからのことで、それまではなにがしかの燃料を燃やして部屋の灯りとした。これはそうした時代に生まれた灯火台である。菜種油などの油(灯油=ともしあぶら)を入れた小さな容器に灯芯を立てて火をともし、この台の上に載せたという。骨董商によれば神仏を祀る祭壇などで左右対にして置いた灯明台だという。

米沢地方には桃山期のものとおもわれる古い窯跡も存在するが、本格的にやきものを焼き始めたのは上杉鷹山が藩主だった安永年間(1780年頃)とされる。質素倹約、質実剛健の旗印のもと、このような黒褐色の渋い飴釉をベースとして、ときに灰白色や水色がかったなまこ釉(籾糠の灰を原料としたので糠釉とも)をかけた日用品を地元向けに生産した。福島県相馬地方の技術をとり入れて創始されたと伝えられ、一説には九州の唐津焼の影響もこうむっているといわれる。

ところで石油原料の西洋ろうそくが大量生産されるのは明治以降で、それまではろうそくは高価なものだった。本来はろうそくを使うべき改まった場面であっても、そこは質素倹約を旨とした米沢藩のこと、ランニングコストの安い灯油を使ったのかもしれない。こういった陶製の灯火台が成島でつくられたというところに米沢の気風のようなものを感じる、と言ったら深読みにすぎるかしら。

This is a ceramic light stand on which a small oil container with a wick was perched, probably used at an altar in shrine or temple. The Narushima pottery was established in around 1780 when Uesugi Yozan governed the Yonezawa clan. Yozan has a good reputation as a governor who got over a severe financial crisis. He attempted to be able to be self-sufficient in ceramics, and sent one of his vassals, Sagara Atsutada, to Soma to learn ceramic industry. Candles were relatively expensive in the 19th century. It is meaningful that a cheap oil lamp was used even in a religious formal situation in the Yonezawa region where Yozan's policy of saving was spread over.

鼓型の独特なデザインに渋い飴釉が映える。灯火皿(灯明皿)を載せたところにすすのような汚れが多少ついている。ふつうの陶器と同様、中はまったく中空になっていて、花器としてつかっても魅力的である。
底の部分は釉薬がかかっていない。部分的に赤っぽく焼けている。製作年代は江戸後期といっていいだろう。

2. 成島焼 切立 Jar

19世紀 19th century
口径 top width: 13.8 cm / 高さ height: 14.0 cm

側面がまっすぐ直立していることから切立(きったて)と称される器。サイズは大小あって、これはどちらかというと小型のものだ。切立は漬物の容器としてつかわれたとされるが、いわゆるカメ(甕)や木製の樽とどのように使い分けていたのかはよくわからない。木蓋をのせて上から重石をのせたのだろうか。底部以外は前掲の灯火台とほぼ同じ赤黒い飴釉がかけられている。日用雑器とは思えないほど雅味があり、もうひと回り大きかったら塗り蓋をあつらえて水指として茶席でつかってもいいくらいだ。

This vessel was called "kittate" that meant an object cut vertically in Japanese. This kittate is relatively small. The kittate jar was used to preserve pickles. The glaze and clay look similar to those of the light stand. It has a simple but tasteful atmosphere and I think it can be used in a Japanese tea ceremony.

この面は黄土色の窯変が斑点状にあらわれている。天目茶碗のようだ、といったら言いすぎか。
見込みには目跡が4つ。他の器物を内側にいれて、重ね焼きしたことがわかる。
底の部分はやはり赤褐色に焼けている。鉄分の影響だろう。胎土には白い粒々が混じっている。土も釉薬も前掲の灯火台とよく似ている。

3. 補足

  • 参考にした図書またはホームページ:

    1. 粟野善雄「成島焼」(山形新聞社 編「山形博物誌」1978年、296〜298ページ)
    2. 米沢市史編さん委員会 編「米沢市史 民俗編」(1990年、674〜678ページ)
    3. 板垣英夫「山形県のやきもの」(平凡社「日本やきもの集成1 北海道 東北 関東」1981年、130〜133ページ)
    4. 日本のあかり博物館(長野県小布施町)の常設展示の解説のページ
    5. 全日本ローソク工業会日本におけるローソクの歴史のページ
  • 山形県立博物館・民俗資料データベースで「切立」と検索すると成島焼の大小の切立の写真がみられる。成島では相当な数の切立を焼いており、需要が大きかったことがわかる。高さ 30 cm 程度の大型の切立は強度を保つためか玉縁になっている。他にも「甕」「すず」「鉢」などのワードで検索すると山形県内(または県外)のやきものがたくさんでてくる。なおこのデータベースはかなりの時間とお金をかけてつくったように見受けられるが、産地名や細かいカテゴリー(陶磁器とか)で検索できないのが不便だ。

  • 成島の灯火台には金属製または陶製の灯明皿をのせたらしいが、くわしいことはよくわからない。下の写真は産地不明のタンコロ。灯火台とは別に、骨董市で求めた。正式名称は秉燭(ひょうそく)という。単純な灯明皿よりも機能的であり、また多くの油をためられるのでより長時間の使用が可能だった。こうした陶製のタンコロは19世紀に全国各地の窯で大量につくられた。

  • タンコロとよばれる灯火器。産地は不明(骨董屋は九州あたりかも、と言っていた)。まんなかの出っぱりに灯芯を立てる。幅 5.8 cm、高さ 5.7 cm。
    A tankoro oil lamp that was made at an unknown pottery. A similar lamp would be perched on the top of the Narushima light stand.
  • 成島焼の歴史については米沢市史の記述がもっとも確からしいとおもわれるが、典拠が不明確なのでなんともいえない。デビッド・ヘイル「東北のやきもの」(雄山閣、1974年)には「(上杉鷹山は)九州唐津から相良清左衛門他の陶工たちを招請した」との記述があるが、そのような事実があったかどうか疑問である。一般には、鷹山公の時代に陶磁器の自給自足をめざして試作を重ねたが失敗がつづき、家臣の相良清左衛門厚忠を相馬に派遣してやきものづくりを学ばせ、その後試行錯誤の末、ようやく成島の地によい陶土を見出して焼成に成功した、と流布されている。なお厚忠はその後土人形づくりを創始し、現在に至るまで「相良人形(さがらにんぎょう)」の名で代々受け継がれている。

  • 成島の窯は米沢城から北西に 3 km ほどの成島八幡神社のあたりにあった。維新後も継続したが明治40年(1907年)頃途絶えた。その後再興されしばらく稼働したが昭和10年(1935年)それも廃絶した。ここまでが「古成島焼」である。その後も再興の試みがなされ、現在も成島焼もしくは米沢焼の名を冠した窯元が存在する。

  • 成島での成功のあと、米沢近辺には他にもいくつかの窯が築かれ、おもに生活必需品を生産した。米沢市史には同心焼、大沢焼、福田焼などの名が挙げられている。落合焼(または小菅焼)は成島のやや北方にあり成島の脇窯の位置づけだったと考えられる。一時途絶したが明治10年に再興され戦後しばらくまでつづいた。成島より陶土の質がよく、品質もよかったらしい。その他、置賜地方には南陽市の宮内焼、白鷹町の十王焼などが知られ、ともに江戸後期から昭和初期頃まで日用品を焼いた。十王焼は成島の影響を強く受けたもので、図録の写真を見ても見分けがつかないほどだ。前述の民俗資料データベースで「すり鉢」で検索すると小菅焼や十王焼の製品の写真がみられる。

  • その後に入手した小菅焼か十王焼とおもわれるすり鉢