尾去沢鉱山の閃亜鉛鉱と方鉛鉱 Sphalerite and Galena from Osarizawa

Osarizawa Mine, Kazuno City, Akita, Japan (秋田県鹿角市 尾去沢鉱山)
Size: 150 × 105 × 70 mm / Weight: 1.8 kg

尾去沢鉱山は閃亜鉛鉱の結晶、とくに褐色透明な「べっこう亜鉛」の結晶を多産したことでしられる。購入先の店主によれば閃亜鉛鉱の産地としては世界でも五本の指にはいってしかるべきだという。この標本の閃亜鉛鉱も、結晶面によって多少の差はあるが照りがよく、透明度も高い。なによりサイズが大きく、幅 5 cm に達する結晶も鎮座する。閃亜鉛鉱の周囲は方鉛鉱の結晶で埋め尽くされていて、これも見どころがある。骸晶が発達しており、結晶の成長速度が速かったことを示唆する。また結晶化終了後に銅を含んだ溶液が侵入したのか、方鉛鉱はちょっと緑色にくすんでいる。少量の黄銅鉱も付着する。閃亜鉛鉱にはそうした「汚れ」があまりつかないのは以前紹介した標本と同様である。

Osarizawa is known as a famous locality of brown transparent or translucent sphalerite, bekko-aen (tortoiseshell zinc) in Japanese. The dealer who sold me this piece said Osarizawa could be counted among the five best localities of sphelerite in the world. The sphelerite crystal is translucent and the biggest one is over 5 cm in size. The surrounding galena is skeletal in part, and is tarnished probably because of an inflow of copper-containing solution after crystalization. It is interesting that sphalerite is relatively clean, as another piece from Osarizawa was.

この結晶(双晶)は両翼 5 cm を超える。曇った面と光輝の強い面とがある。
別の部分。方鉛鉱の結晶も立派だ。

「日本鉱物誌」の初版(1904年)と第2版(1916年)には、尾去沢の閃亜鉛鉱の結晶は褐色「不透明」とあり、まだこの頃はべっ甲亜鉛の存在が広く認識されていなかったことを示唆する。尾去沢で鉛や亜鉛の生産を本格的におこなうようになったのは戦後になってからであり(秋田県鉱山誌、秋田県、1968年)、この当時は未踏の鉱脈も多かったのだろう。木下亀城が昭和6年(1931年)に著した報文にも、閃亜鉛鉱は褐色または黄褐色「不透明」で、主に卯酉ヒ、正徳ヒ、末広ヒの通洞以上に多いとある(地質調査所報告 119号、出版は1937年;「ヒ」は金偏に通で鉱脈のこと)。いっぽう三菱鉱業の技師だった南部秀喜が昭和15〜18年(1940〜43年)に尾去沢に滞在中にあつめた標本に関する解説文(執筆は昭和25〜28年)によれば、閃亜鉛鉱は正徳ヒ方面に多産し、褐色・黄褐色・黄緑の「半透明から透明」の光輝の強い結晶がみられるとある(南部鉱物標本解説、復刻版、茨城県自然博物館、1996年)。戦時下の尾去沢はかなりの増産を敢行しており、おそらくこの頃までには鉛・亜鉛鉱脈の開発がすすみ、尾去沢がべっこう亜鉛の産地として広く認知されるようになったのだとおもわれる。

Sphalerite from the Osarizawa mine was not described as transparent in old literatures; e.g., 1st (1904) and 2nd (1916) editions of Wada's Minerals of Japan; a report written by Kinoshita Kameki in 1931. I guess that zinc ores were not considered to be important in Osarizawa at such old times and there still remained sphalerite-rich veins. After the Pacific War, Osarizawa began smelting lead and zinc, and transparent sphalerite became well-known.

参考

  • 下の標本は鹿角市鉱山歴史館に陳列されているもの。径 8 cm は優に超える閃亜鉛鉱の結晶がみられる。中啓ヒは鉱区の東縁、正徳ヒのやや南東で、尾去沢本ピとよばれる大盛山直下を東西に走る長い鉱脈の東端に位置する。正徳ヒは鉛や亜鉛に富んだ鉱脈で上部の酸化帯からは尾去沢石が発見されたことで有名であるが、中啓ヒも同様にこうした鉱石が多産したのだろう。

  • A zinc-ore specimen displayed at Kazuno City Mining History Museum. The biggest sphalerite crystal exceeds 8 cm in size.
  • 三菱マテリアル所蔵の標本(東京大学総合研究博物館のデータベースより)。他にも数点所蔵されている。