秋田波銭 Akita Nami-sen (Coin)

Size: ϕ 42.5 × 3.6 mm / Weight: 41 g

秋田藩は幕末に独自の貨幣をいくつか発行したが、これもそのひとつ。前に紹介した秋田鍔銭とよく似たところがあり、たとえば

  • 旧二ツ井町域内にあった加護山製錬所で、文久3年(1863年)頃から数年間鋳造されたこと、
  • 材質は銅:鉛=9:1 程度の合金で、独特の赤味を帯びていること、
  • これ1枚で100文(いまの貨幣価値でいうとざっと1000円くらい?)の値打ちで通用させたこと、

などは共通の特徴といえる。鍔銭は秋田藩内で広く流通したが、この波銭は阿仁銅山や製錬所周辺でのみ通用したとされる。したがって発行枚数は比較的少なく、鍔銭ほど現存していない。地元の歴史研究家だった佐藤清一郎は著書「秋田貨幣史」で、波銭はなかなか手に入りにくく「近頃は精巧なニセものが多く出回っている」と記している。

表面(=貨面)のデザインは、数え方にもよるが7波21筋の青海波。これは「寛永通宝・四文銭」の初期のデザインとほぼおなじで、銭貨としてなじみ深い文様だったのだとおもわれる。裏面(=貨背)はのっぺりしていてまったく文様がなく、ただ「秋」の極印がおされているだけ。鉱山内のみの通用ということで、つくりも簡素である。波の太さの違いで「太波」「中波」「細波」に分類され、また裏面の「秋」の極印にも大中小の種類があるという。ここに紹介したものは「中波」で「中」の極印かとおもわれるが、判別に自信はない。不純物の違いか、表面仕上げの違いか、他の秋田藩の銅貨にくらべて赤味がはっきりしていて、独特のあたたかみを感じる。

Akita Nami-sen ("wave" coin) is one of the local coins minted by Akita domain at the end of the Edo period. Nami-sen is very similar to Tsuba-sen that has been shown in this blog in that they were produced at the Kagoyama Refinery since 1863, made of about 90% copper and 10% lead, and were ruled to be used as 100 mon, which is roughly 1000 yen (10 US dollars) in the present value. Nami-sen is rarer than Tsuba-sen, because the latter was widely used in Akita domain but Nami-sen was said to be in limited currency in the Ani mine. The wave pattern is similar to that of 4-mon Kan'ei Tsuho (see the photo at the end of this post). There is no decoration in the backside but a mark of the initial character of Akita (秋). There are three versions of thick, medium and thin waves, and three different marks in the backside have been known. The reddish color of Nami-sen is distinct from other Akita's copper coins of the same ages.

「秋」の極印はつくりの「火」の一部分しか刻まれていない。鋳造技術がつたなくて溶けた銅を流し込む湯道の跡が残ってしまったのか、側面の一部に「へこみ」がある。
The mark in the backside is incomplete. Nami-sen is not very technically sophisticated.

参考

  • 「日本の貨幣〜収集の手引き」(日本貨幣商協同組合 編、2021年)、佐藤清一郎「秋田貨幣史」(みしま書房、1972年)、など。

  • 鍔銭も波銭も「当百銭」すなわち1枚=100文の価値をもたせたが、実際は1枚=80文程度で通用したらしい。これらは目方で価値を決める秤量貨幣で、10匁(37.5 g)で100文通用だったとする説もあるが、よくわからない。その時代には当たり前のことでも、ちゃんと文書に残しておかないとすぐにわからなくなるものだ。小説や映画なども、芸術としての価値と同じくらいかそれ以上に歴史記録としての価値がある。

  • 下は拡大写真。表面は赤茶けており、細かい直線的なキズが無数についている。これは金ヤスリかなにかで磨いたあとだろう。また波文の溝には暗緑色の砂のようなものがこびりついている。これは保管中についたゴミというよりは、鋳造時の砂型の砂が残ったものかもしれない。「秋田貨幣史」によると、波銭の数年後におなじ加護山で製造された「天保通宝」にもこれらの特徴がみられ、これは良質な砥石が手に入りにくかったこと、鋳物砂も良質なものが秋田に産出せず型抜けが悪かったことが原因と説明している。

  • 波文の「溝」の拡大図。写真幅は約 4.7 mm。
  • 砂が溜まっていて酸化を抑えたせいか、溝の部分にほとんど錆びていないきれいな銅色を呈する部分がみられる。ちなみに秋田波銭の文様は陰刻であるが、寛永通宝などの「正規品」は文様を浮き出させる陽刻であり、ゴミはたまりにくい(むしろ地の部分にゴミがたまりやすいともいえるが)。

  • 下の写真は寛永通宝四文銭の初期モデルで21波(または8波21筋)とよばれているもの。銅 68%、亜鉛 24%、その他 8% の真鍮製で、発行は明和5年(1768年)。この波文様は複雑すぎて歩留まりが悪かったらしく翌年には11波に簡素化された。江戸には金座と銀座があったが、これは銀座が製造。秋田波銭のちょうど100年前の銭貨であるが、さすが江戸の銭づくりのプロ集団、実に美しい作行きである。

  • Kan'ei Tsuho, 4-mon coin, 21 waves, minted in 1768. Size: ϕ 27.5 × 1.3 mm / Weight: 5 g.