竹林人物図のぞき猪口 Persons in a Bamboo Groove Nozoki-type Cup

18世紀末 Late 18th century
口径 top width: 50 mm / 高台径 bottom width: 37 mm / 高さ height: 62 mm

これは竹林の七賢(のだれか)を描いたとも、寒山拾得図とも言われる。こういう中国人風の人物が林の中にたたずむ図柄は、18世紀後半から19世紀初頭に流行した古伊万里の定番であり、当時の人々が中国の文化や思想に親しんでいたことを示しているとおもう。

This kind of drawing, which is probably (some of) the seven wise men in the bamboo groove fabled in Chinese classic or Hanshan and Shide (Tang Dynasty Buddhists), is often seen in old Imari wares in the Late 18th century to the early 19th century, showing that Japanese people in the Edo period were familiar with Chinese culture and thought.

もうひとりいる。 Another person.

わたしはこの図柄、とくに竹の葉っぱの文様が大好きで、他にも同じ柄の器をあつめている。

I like this pattern, especially the bamboo leaves. Here are some of my collection of bamboo-leaf dishes.

染付 竹林文 長皿 Bamboo-leaf Pattern Rectangular Dish

18世紀後半 Late 18th century
Size: 21 cm × 11.5 cm

染付 竹林文 角なます皿 Bamboo-leaf Pattern Square Dish

18世紀後半 Late 18th century
Size: 13 cm × 13 cm

これらはおなじデザインで、つくられたのもほぼおなじ時代だと考えられる。特徴的なのは、竹(笹)の葉が手書きではなく、紙摺り印判という技法で描かれているところ。これはどういうものかというと、まず型紙を用意して、笹の葉に当たる部分をナイフ等で切り取る。これを素焼きした皿に押し当てて、上から呉須を塗ると、切り取ったところだけに呉須がついて、笹の葉の文様が転写される。現代の陶磁器とおなじ「プリント」であるが、当時は量産のためではなく、型紙摺り独特の味わいをだすためにむしろわざわざ手間をかけてこのような技法をもちいたといわれる。冒頭に示したのぞき猪口の笹の葉は手書きで、隣り合う葉っぱと葉っぱがくっついているところがあるが、お皿のほうは型紙をつかっているから葉っぱどうしが「絶対に」くっつかない。もしくっついているところがあったとしたら、それは転写がうまくいかなくて、あとから手直ししたところだろう。

この笹の葉文様はわたしの中では「蛸唐草」につぐ古伊万里の図柄の傑作のひとつだとおもっている。食器としてつかうと、料理をじゃませず、かといって地味でもなく、なんというかポップな印象さえ与える、不思議な魅力をもっているのである。

The leaf pattern of the above two dishes is a print with a paper from which the places corresponding to leaves are cut off. As the leaf pattern of the nozoki cup shown in the beginning of this post is hand drawing, the leaves can overlap each other. However, the leaves of the rectangular and square dishes never overlap because of the way of printing. I think the paper-print bamboo-leaf pattern is one of the best designs of old Imari wares as well as tako-karakusa (octopus-leg arabesque).

どちらも高台内にははり支えの跡(目跡)が1つと、富貴長春の銘がある。高台の外から見える部分には染付で線がひかれ、蛸唐草の文様が簡素に描かれるのも同じ。とくに裏銘はこの時代の他の皿にもよくみられ、やはり当時の中国趣味を反映しているとおもわれる。

補足

  • 伊万里の紙刷り印判は元禄頃にはじまって、18世紀中頃までおこなわれたが、その後途絶えたようだ。なお明治以降になると銅版転写による印判の技法が生まれ、大量の印判皿が生産された。江戸中期の紙刷り印判は古いタイプの印判ということでとくに古印判ともいう。

  • おなじような技術で「こんにゃく印判」というのもある。これはなにかやわらかい素材をつかった「スタンプ」である。素焼きを省略した生掛け焼成の製品にもちいられることが多かったので、量産のための技術だとおもわれる。これも18世紀をすぎると途絶え、以後復活することはなかった。

  • 先日訪れた國學院大學博物館の企画展「唐詩選」の解説動画が公開されていた。解説者の赤井益久氏(國學院大學教授)が最後に述べておられるように、鎖国下の日本人にとって外国は遠い存在だった。そこでもっとも近い外国である中国にあこがれの気持ちを抱くことは当然であり、江戸期の人々は、ちょうどいまのわたしたちが洋楽やハリウッド映画に親しんでいるのと同じように、中国の文化に接していたのかもしれない。しかし幕末以降、政治体制や文化をヨーロッパに範をとるようになり、日本人にとっての中国の地位が相対的にさがっていった。