村山地方の土人形・おかわり Another Clay Doll from Murayama District
鯛を抱える少年
この土人形は、江戸末期から明治期に山形県村山地方でつくられたもの(いわゆる堤系人形)と考えられる。お顔や着物の柄の描き方などに、工人の熟練した技が垣間見える。色鮮やかで、いかにも楽しげな人形である。以前手に入れた人形で作風がよく似たものがあり、同じ作者がほぼ同時期につくったと考えていいだろう(下の比較写真を参照)。
お仲間集合
いわゆる堤系人形についてはすでに別の記事でいくつかの例を紹介したが、ここで改めてそれらを分類・整理してみる。
下の2つはどちらも大黒さまをかたどった土人形だが、お顔の描き方や、着物の花柄文様など、類似点が多い。粘土に厚みがあって、持ったときにかなり重みを感じるのも特徴で、どちらもおなじ作者をおもわせる。
下の3体も大黒さまとえびすさまである。左の2体のえびす像は、大きさこそ違えど、作風がよく似ており、同じ工人の作品をおもわせる。右の大黒像も同じ作者と言われればそのようにもおもえる。これらはみな薄造りで、前の2体(#3と#4)とは作行きがやや異なる。
わたしは大黒・えびすコレクターではないのだが、たまたまこのように複数の人形があつまったという事実は、幕末から明治前期頃の村山地域における大黒・えびす信仰の篤さを暗に示しているのかもしれない。
わたしは今回、これまであつめた7体の「堤系人形」を、以上のとおり3つのグループに分類してみた。しかし、全体を貫く根っこの部分には、なにか共通点があるようにおもえる。色づかいや着物の柄の細部にまで気を配り、人形に愛情をもって接する山形の工人の姿が思い浮かぶ。なんだったらぜんぶ同じ工房で、同じ技術を共有する工人によって制作されたとみることもできるとおもう。
下塗りの材料について
一般に土人形は、素焼きしたあと、全体を白い顔料で下塗りする。この際用いる顔料には、大きく分けて、胡粉(ごふん)と白土(はくど)の二種類がある。前者は貝殻をすりつぶしたものなので、主成分は炭酸カルシウムであり、塩酸と反応して激しく発泡する。そこで人形の表面を少しこそげとり、塩酸を滴下して発泡の有無を調べれば、下塗りに胡粉をつかったか、白土をつかったかが推定できる。実験のやり方についてはこちらの記事を参照のこと。
今回示した7体の土人形について調べたところ、#3の、全体が赤色の大黒像は胡粉、それ以外はすべて白土をつかっていることがわかった。
#3と#4とは作風がかなりよく似ているが、材料には違いがある。制作者はおなじかもしれないが、年代には多少の開きがあるのかもしれない。
堤系人形は、一部は胡粉の使用が認められるが、基本的には白土をつかっていたと推測できる。これは、本家の堤人形がおしなべて胡粉をつかっていたのと対照的である。白土の使用は、むしろ花巻人形や相良人形との共通性を示唆する。
これまでのわたしの限られた実験結果によると、江戸から明治にかけての東北で、人形づくりに胡粉をつかっていたのは、仙台の堤、秋田の八橋、庄内の酒田や鶴岡など、大きな港の近くの産地に限られるようである。当時は、遠距離の物資の輸送は海運に依っていたので、内陸部の産地では、顔料の入手に相当のコストが必要だっただろう。海沿いの地方では、たとえば京都方面でつかわれていた胡粉の入手がたやすかったかもしれないし、あるいは地元の貝殻をつかった胡粉の生産がおこなわれていたかもしれない。いっぽう、内陸部では、温泉地帯で比較的多く産出する白土(酸性岩が熱水で変質したもの)が安く手に入ったのかもしれない。





