孔雀石の根付 Malachite Netsuke

size: 56 mm × 38 mm × 18 mm

秋田の古物商から求めた孔雀石(マラカイト)の根付。表面は磨かれていて、部分的に縞模様が出ている。紐を通す穴が直線的にあいている。もしこれが国産の孔雀石だったとしたら、入手先からしておそらく秋田の阿仁鉱山か荒川鉱山あたりで、江戸後期から明治期に産出したものだとおもう。

天然の孔雀石は本品のような装飾品のほか岩絵具(緑青)の原料として一定の需要があった。一般に孔雀石(Cu2(CO3)(OH)2)は銅鉱床の酸化帯に生ずる2次鉱物で、それ自体はありふれたものだが、ある程度肉厚の塊となると産出地は限られる。日本では各地の銅山で多少の産出があったが、明治末頃までにはどこの産地もほとんど掘り尽くされ、海外から原石を輸入するか、顔料用途としては合成品がつかわれるようになった。

This is a netsuke made of malachite that I bought from a dealer in Akita. The polished surface shows a banded pattern in part. A straight hole is made for the use as a netsuke. If it was a Japanese malachite, it would be produced from the Ani or Arakawa Mines in Akita in the 19th century or before. There was a little demand for natural malachite as a pigment and decorative materials. Malachite is generally a common secondary mineral in the copper deposit, but a massive ore is rare. Malachite in Japanese copper mines was almost exhausted by the end of the 19th century, and it was imported from abroad or, for the purpose of pigment, replaced with synthetic one after that.

裏側。黒い部分は原石の凹部をなにか人工的な材料(漆?)で埋めたものだろう。
右はすでにこのブログで紹介済みの、秋田県尾去沢鉱山産として入手した孔雀石の小塊。ただし産地は不確かなので、なんだったら両方とも海外産の可能性もある。

補足

  • 福井県厳洞鉱山からは径 1 m の孔雀石の大塊が出た(「日本鉱物誌 第3版 上巻」中文館書店、1947年)。明治39年(1906年)、市川新松は福井県角野(厳洞鉱山のこと)にて実際にそのような塊を見学した(「福井県鉱物誌」市川新松、1933年)。福岡県三ノ岳では昭和13年(1938年)に孔雀石が裂罅を充填しているのを坑内で発見し、大きさは長さ数 m、幅 10 cm(「福岡県鉱物誌」岡本要八郎、1944年)、もしくは  40 cm × 20 cm × 15 cm に達した(「日本鉱物誌 第3版 上巻」)。

  • 岐阜県神岡鉱山の旧坑である前平(まえびら)鉱山の孔雀石で碁盤をつくった記録があるという(今吉隆治「宝石と飾り石 4」時計 第7巻 10号、精密工業新聞社、1962年)。他にもどこそこの孔雀石でテーブルをつくったとか、いろんな「伝説」が流布しているが、どこまで本当なのかよくわからない。

  • 18世紀末に木内石亭が著した「雲根志 後編 巻之一」には、当時は緑青と呼ばれていて近年日本でも産出が増したこと、好事家がこれを孔雀石と呼んで珍重しはじめたこと、主要な産地は兵庫県多田鉱山であることが述べられている(「石之長者 木内石亭全集 第4巻」下郷共済会、1936年)。各地で銅山の開発が活発になって国産の孔雀石が市中に流通し始めたのがこの頃だったのだろう。

  • 秋田の孔雀石は装飾品の用途で珍重された。角館の佐竹北家の代々が残した日記には、文政4年(1821年)に江戸の壱岐守の求めに応じて木葉石(葉っぱの化石がはいった頁岩で硯の材料とした)とともに阿仁の孔雀石を贈ったこと、そして孔雀石については当時産出が少なく今回は小さい石だけだが、今後大きな塊が出たらすぐ贈るつもりであることが記されている(「木葉硯」森吉町史資料編 第7集、1980年)。

  • 和田維四郎「本邦金石略誌」(1878年)によれば阿仁ではかつて孔雀石の大塊がとれたが、執筆時の明治11年にしてすでに目ぼしい産出をみないとある。

  • 北秋田市阿仁郷土文化保存伝承館には阿仁産孔雀石の小片を象嵌のように散りばめた刀の鞘が展示されている(2024年8月に実見)。

  • 孔雀石の玉は和装が一般的だった昭和初期頃までは好んで装身具につかわれたようだ。緒締(おじめ)、かんざし、根掛(ねがけ)などの使用例がある(たとえば「流行」1899年 第1号、流行社「新婦人」1965年4月号、文化実業社、など)。

  • ちょうどことしの東京ミネラルショーで孔雀石の玉の展示があった(飯田孝一「宝石の魅力 vol.3 石が使われてきた歴史」東京ミネラルショー2024 パンフレット)。下の写真の右側に見える大小の玉は秋田県荒川鉱山と阿仁鉱山産の孔雀石を加工したもので、その下の原石は荒川鉱山のものだという。こうした玉は玉かんざしや根掛け(日本髪の髷の根元に巻く飾り)などにつかわれた。左側の品は幕末から明治初期に実際につかわれたものだという。

    2024年の東京ミネラルショー(池袋ショー)にて。
  • 水石界でいうところの孔雀石は碧玉かめのうの類で、炭酸銅たるマラカイトではないので注意が必要である(実際秋田の五城目からは水石としての「孔雀石」が産出した)。