松郷屋の焼酎徳利 Matsugoya Shochu Bottle
ボウリングのピンみたいに縦長な形状をしたこの器は、民藝界隈で「松郷屋の徳利」として知られる、幕末から明治期に新潟県西蒲原(にしかんばら)地方の松郷屋(まつごうや)地区で焼かれたとされる徳利に酷似している。全体にナマコ釉がかけられているが、青白い発色は底に近い部分に限られ、器の大部分は釉が流れてしまって緑褐色になっている。ろくろで成形したときの筋目がそのまま残っていて一見荒々しいが、口べりや高台の仕上げはとてもていねいで、職人の技術の確かさがうかがわれる。胴に大きなニューが通っていて多少水漏れするのが残念だ。
松郷屋の徳利は新潟市内の酒造業者が大量に発注した酒瓶であって、これに焼酎を詰めておもに北海道向けに北前船で出荷した。高さは 20 〜 26 cm で、容量は7合半(約1.4リットル)以上と決まっていた。北蒲原の旧笹神(ささかみ)村(現在は阿賀野市)でも同時期に同様の徳利がつくられており、本品も笹神産の可能性がある。明治前期の最盛期には年に50万から150万個も生産されたという越後の焼酎徳利だったが、景気は長くは続かず明治後期にはこのビジネスは終焉した。基本的に使い捨てで残存数が少なく、いまでは古物市場でもほとんどみかけない。
This vertically long bottle resembles what is known as "Matsugoya bottle" in Japanese folk-art community, which was made in Matsugoya, Nishi-Kanbara Region, Niigata Prefecture, in the late 19th century. The bluish white glaze turned to dark green except for the lower part probably because of unexpected fluidity. The body seems to be crudely formed with striation, but the top and bottom parts show a delicate craftsmanship. Unfortunately it leaks water through a long crack.
The Matsugoya pottery supplied bottles for breweries in Niigata City, who exported shochu to Hokkaido. The bottle was 20 to 26 cm in height and 1.4 liter or more in volume. Potteries in Sasakami, Kita-Kanbara Region, also made similar bottles in the late 19th century, so the one shown here might be produced there. A yearly production reached 0.5 to 1.5 million in 1870s to 80s, but the bottle business soon collapsed because of decreasing demand. Matsugoya bottles are rare in modern antique market.
補足
参考文献:
- 「やきもの産地・新潟」 新潟県立歴史博物館 企画展示図録、2023年。
- 石川秀雄「越後の陶磁」 陶磁選書6、雄山閣出版、1976年。
- 斎藤順作「村・家・人」 角田山周辺綜合調査 民俗篇の1、巻町双書 第16集、1971年。
松郷屋およびその周辺には数軒の窯元があって、徳利製品は一括して業者に納入したという。容量が7合半に満たないなどの規格外品は返品されたようだが、それがどこの窯のものか分かるように、ふつう徳利の下部に窯ごとの印が刻まれている。ここで紹介した徳利をよくみると「∨」に似た意味ありげな印がみられるが、松郷屋にこのタイプの窯印はみられない。笹神村内にも笹岡、山崎、村岡地区にいくつかの窯があり、やはりそれぞれに窯印が決まっていたようだが、「∨」の印があったかどうかは文献からは判明しなかった。斎藤順作「村・家・人」には松郷屋の二村窯は無印だったとの記述もある。いずれにせよ写真の徳利の出自は不明である。