八橋人形 Yabase Dolls
1. 天神さま Tenjin
ここから紹介する3つの土人形は、秋田市の八橋(やばせ)地区で、おそらく100年以上前につくられたもの。学問の神様とされる菅原道真をかたどった天神人形は八橋人形の定番で、古くは同地区にある菅原神社の参詣客がこぞって買い求めた。地元のことばで「おでんつぁん」と呼ばれ、男の子どもが生まれるとこれを家に飾る風習があった。この人形はほとんど最小サイズとおもわれる豆天神だが、衣装には金彩(というか金に似せた黄色い顔料による文様)がほどこされ、立派な台座に乗っていて、それなりに手が込んでいる。やさしいお顔立ちで、かわいい天神さまだ。
All three clay dolls shown here were created in Yabase, Akita City, Japan, more than 100 years ago. Tenjin doll, an icon of Sugawara-no Michizane who has been respected as a god of "study", was Yabase doll's bestseller, formerly sold for visitors to Sugawata Shrine in the Yabase district. People called it "oden-tzan" (a local word), and often displayed it in a house when a boy was born. This Tenjin doll is probably the smaller one in size, but is well decorated in every detail. I like this lovely face.
2. 鶏 Hen
本当はウマくつくれるのにあえてヘタぶるのを「ウマヘタ」というならば、そこにはなにかあざとさみたいなものが見え隠れする。一方この人形は「ヘタウマ」で、実に愛らしい感じがする。田舎にいそうな軍鶏(しゃも)か、ひょっとすると比内鶏だろうか。この手の土人形は雌雄一対のものが多いので、これよりひとまわり大きな雄鶏も伴っていたかもしれない。なお底の部分に「八幡人形」と記されているが、これは前の所持者の勘違いで、実際は八橋人形でまちがいないとおもう(八幡人形は新潟・佐渡の土人形で、漢字が似ているのでごっちゃになってしまったのだろう)。
This doll is not very sophisticated, but has an indescribable, primitive beauty. Black hen will be a shamo (fighting chicken) or a Hinai-dori that is original in Akita. As this kind of chicken dolls usually come as a pair, there would have been another rooster with it.
3. 兵隊さん Soldier
時代感からすると、日清戦争(明治27-28年、1894-1895)か日露戦争(明治37-38年、1904-1905)前後の兵隊人形だろう。前の2点とおなじく、顔料は黒と赤を主体としていて、非常によく似た色づかいだ。つくられた年代もそう違いがないのではなかろうか。前の所持者がつけたラベルには「秋田・八幡人形 兵隊さん 高松作」とあるが、やはりこれも八橋人形と混同したものだろう。八橋人形をつくる家は数軒あったが、高松家は主要な工房のひとつで、明治初頭(または幕末?)から昭和末期まで100年以上つくり続けた。
I guess from the oldness that it was a soldier in the eras of the Sino-Japanese War (1894-1895) or the Russo-Japanese War (1904-1905). The black and red coloring is very similar to other two dolls. I guess all these dolls are of similar age. The label coming with this doll says it was made by Takamatsu Family, which was one of the main manufacturers of Yabase doll and was active from the mid 19th century to the late 20th century.
補足
これら3点のうち、天神さまは骨董市にて、あとの2点は、コレクターさんの所持品を頒布する催しで、それぞれ手に入れた。わたしは古人形に関しては初心者なので、八橋人形かどうかの鑑定は自分ではできない。前の所持者の方のメモ書きや、催しの主催者さんの弁にしたがっている。
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八橋人形の歴史や特徴については
秋田県「美の国あきたネット」のなかの「お宝発見ハンドブック~工芸技術編~」の第6章「郷土玩具」(PDFファイル、2007年)
秋田県立博物館の展示「子どもの成長を願う -天神人形-」の解説文
などを参照した。江戸後期にはじまったとされるが、当時の古い八橋人形はほとんど残っていないようで、資料館の展示や図録などで目にするのはたいてい明治期以降の作品である。工房は昭和はじめ頃には高松家、遠藤家、道川家の3軒があった。もっと前にはさらに数軒あったらしい。時代の波を受けて土人形づくりはしだいに衰退し、最後の職人である道川トモさんが2014年に亡くなったことで、八橋人形は一時途絶した。
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しかし、残された型をつかって地元有志が人形づくりを復活させ、現在「八橋人形伝承の会」として活動を続けている。作品のできは古い八橋人形とくらべても遜色ないもので、秋田市内のおみやげ屋などで求めることができる。下の写真は数年前にたしか秋田駅の駅ビルの中のお店で手に入れた「立ち娘」である。他のコレクションはこちらのページですでに紹介した。
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下の写真は高松家の店頭のようすで、「写真集 明治大正昭和 秋田」(ふるさとの想い出 42、国書刊行会、1980年)から引用した。すくなくとも1970年代かそれ以前に撮影されたもの。左下に鶏の人形が写っているが、これは上で紹介したものと同じ型かもしれない。この当時は白いにわとりだったようだ。