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Showing posts from March, 2023

置賜地方のすり鉢 Mortar from Okitama District

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19世紀後半〜20世紀初頭 Late 19th to beginning of 20th centuries 口径 top width: 31 ∼ 32 cm / 高さ height: 17.5 cm / 高台径 bottom width: 10.5 cm 山形県南部、 旧米沢藩の領地だったあたりを置賜(おきたま)地方と呼ぶ。これはそこで焼かれたすり鉢。詳細な産地は不明だが、おそらく米沢市の小菅(こすげ)焼か、白鷹町(しらたかまち)の十王(じゅうおう)焼で、製作年代は明治〜大正期あたりだろう。 まず横から見るとシルエットが直線的で円錐形に近く、ふつう思い描くすり鉢より傾斜が急というかスリムな印象だ。大きさの割には底の「溜まり」の部分がせまいとおもうのだが、なにか実用上の利点があるのだろう。器全体に褐色の柿釉が薄くかかっている。そして縁の部分には黒褐色の飴釉が施され、さらに二重のくびれがついている。これは持ちやすさのためと、欠けやすいこの部位を補強する意味合いもあると考えられる。内面は櫛できれいに隙間なく溝がつけられている。たたくとカンカンいい音がして、いかにも頑強である。用の美というにふさわしい。 This ceramic suribachi (mortar) came from the Okitama district, Yamagata prefecture, Japan. It was probably made in the late 19th century by the Kosuge pottery in Yonezawa City or the Juo pottery in Shirataka Town. It features a conic shape with a linear side silhouette and a little bottom area, which I guess has some meaning when used. Decoration at the top edge with a lustrous dark brown glaze would also be useful. The inner part is finely engraved with a comb-like tool.

大宝寺焼の湯通し Daihoji Rice Rewarmer

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19世紀 19th century 口径 top width: 15.5 cm / 高さ height: 12.0 cm / 高台径 bottom width: 7.0 cm 山形県鶴岡市の大宝寺(だいほうじ)で焼かれたとおもわれる古い器。見た目は小型のカメ(甕)だが、底に小さな穴が15個ほどあいており、「湯通し」の名で呼ばれている。山形県立博物館の 子ども向けの解説ページ によると、 湯通しは、冷たいご飯をいれ、熱湯をかけて温めるための甕形(おうけい)の器です。お湯は底にある孔(あな)から流れ出ます。(中略)さらにお湯を切ってから、それをとろ火にかけて蒸すと、炊きたてのご飯のようになる一種の蒸し器のようなものです。 ということらしい。これは小型の部類で、もっと大きいものもある。かなり需要があったらしく大宝寺焼ではよくみられる。渡辺為吉「白岩瀬戸山」(1933年)に「飯ふかし」という器が記載されているが同じものを指すとおもわれる。 この器のように青白い釉薬(いわゆるなまこ釉)を器の内外全面にたっぷりかけるのは大宝寺焼の特徴だ。焼きが甘く、指でたたくと鈍い音がする。高台の土見せはざらざらしており、陶土の質があまりよくなかったものとおもわれる。一般にガラス質の釉薬は器の強度を高める役割も果たすので、このようになまこ釉を全面に施すのは理にかなっているのかもしれない。 なおおなじ山形県の新庄東山焼にも青白いなまこ釉を全面に施す器がある。正直に言ってわたしには見分けがつかないが、骨董市でこの器を出していた日本のやきものにくわしいおやじがそう言っていたので、ここは大宝寺焼としておく。 An old ceramic jar made at Daijoji, Tsuruoka City (or possibly at Higashiyama, Shinjo City), Yamagata, Japan. The appearance is just a simple vessel, but it has fifteen small holes at the bottom part. The usage is as follows: put cold steamed rice that was preserved for a while, p

成島焼の灯火台と切立 Narushima Light Stand and Jar

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以下はいずれも山形県米沢市でつくられた成島(なるしま)焼の古い器である。 The ceramic wares below were made at Narushima, Yonezawa City, Yamagata Prefecture, Japan. 1. 成島焼 灯火台 Light Stand 19世紀 19th century 高さ height: 25.5 cm / 口径 top width: 8.6 cm / 底径 bottom width: 15.2 cm 電灯が各家庭に普及したのは20世紀になってからのことで、それまではなにがしかの燃料を燃やして部屋の灯りとした。これはそうした時代に生まれた灯火台である。菜種油などの油(灯油=ともしあぶら)を入れた小さな容器 に灯芯を立てて火をともし、この台の上に載せたという。 骨董商によれば神仏を祀る祭壇などで左右対にして置いた灯明台だという。 米沢地方には桃山期のものとおもわれる古い窯跡も存在するが、本格的にやきものを焼き始めたのは上杉鷹山が藩主だった安永年間(1780年頃)とされる。質素倹約、質実剛健の旗印のもと、このような黒褐色の渋い飴釉をベースとして、ときに灰白色や水色がかったなまこ釉(籾糠の灰を原料としたので糠釉とも)をかけた日用品を地元向けに生産した。福島県相馬地方の技術をとり入れて創始されたと伝えられ、一説には九州の唐津焼の影響もこうむっているといわれる。 ところで石油原料の西洋ろうそくが大量生産されるのは明治以降で、それまではろうそくは高価なものだった。本来はろうそくを使うべき改まった場面であっても、そこは質素倹約を旨とした米沢藩のこと、ランニングコストの安い灯油を使ったのかもしれない。こういった陶製の灯火台が成島でつくられたというところに米沢の気風のようなものを感じる、と言ったら深読みにすぎるかしら。 This is a ceramic light stand on which a small oil container with a wick was perched, probably used at an altar in shrine or temple. The Narushima pottery was established