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Showing posts from July, 2021

秋田四匁六分銀判 Akita 4-Monme 6-Bu Silver Coin

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Size: 68.2 × 38.9 × 0.9 mm / Weight: 17 g 秋田藩が幕末に発行した銀貨。史料によると、文久2年(1862)に「封銀」とよばれる銀貨をつくり秋田領内で流通させたが、これは銀の使用量と貨幣価値との間に齟齬が合って評判がよくなかったので1年あまりで回収し、文久3年(1863)の秋に銀を増量したこの「銀判」を発行した。江戸時代の金貨で大判・小判というのがあるが、それと形状はおなじで材質が銀なので「銀判」と呼んでいる。上の写真はそのうち「四匁六分」(約17.3グラム)の重さがある銀判で、2分の貨幣価値があった(銀判2枚で小判1枚=1両に相当する)。これよりひとまわり大きい「九匁二分」(約34.5グラム)の重さがある1両銀判もある。これら2種の銀判は相当数発行されたらしく、現代の古銭ショップやオークションで頻繁に見かける。またほとんど現存していないが「一匁一分五厘」(約4.3グラム)の重さがある2朱(=1分の半分、1両の1/8)銀判も存在する。 純銀に近い品位でやわらかな光沢をはなつ。極印が打たれてへこんだ部分の銀の肌は黄色みさえ帯びている。ゆるやかな槌目が横に走っていて陰影を与えており、立体感を感じる。錆の感じも味わい深い。 秋田領内には院内銀山があり、昔から銀細工が盛んだった。この銀判がどこでつくられたのかは諸説あり判然とはしていないが、領内の腕利きの職人が秘密裏に集められて生産されたのかもしれない。江戸の本職がつくった小判みたいな厳密さこそないが、東北の野趣にあふれる工芸品といってもいい銀貨である。 A local silver coin used in the Akita domain, Japan, at the end of the Edo period. Another silver coin, Fu-Gin , was minted in 1862 to improve the loval economy, but it was soon rejected by people because of deficiency in silver content. The coin shown in the above photo was a replacement th

サカテカスの自然銀 Silver from Zacatecas

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Zacatecas, Mexico(メキシコ サカテカス州) Size: 50 × 46 × 38 mm / Weight: 95 g 硫化鉱物(たぶん黄鉄鉱、黄銅鉱、方鉛鉱など)と方解石などからなる鉱石片の空隙に紐状の自然銀の結晶、いわゆる「ひげ銀」が成長する。ほとんど黒化しているが、一部金属光沢を示していて、まるで針金を丸めたみたいだ。さいきん古銭あつめにいそがしいので鉱物あつめがおろそかになっているが、ホリミネラロジーのセールがあったので古来有名なメキシコの銀産地の標本を入手してみた。そのうちメキシコの古銀貨とか手に入れたいものだ。 Silver wires on a small piece of metallic ore composed of sulfide minerals (pyrite, chalcopyrite, galena) and calcite. Some show metallic luster. I have been busy with coin collection these days, but found this silver specimen from a renowned Mexican locality at a sale of Hori Mineralogy. I would like to obtain an old Mexican silver coin some day. 産地はサカテカスの何鉱山なのかは不明。

銅山至宝 五十文銭 Dozan Shiho 50-Mon Coin

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Size: 43.3 × 31.6 × 2.4 mm / Weight: 29 g すでに紹介した 鍔銭(つばせん) 、 波銭(なみせん) につづき、これまた幕末に秋田藩が発行した銅貨。加護山製錬所で鋳造され、波銭と同様おもに阿仁鉱山や製錬所内でのみ通用したという。表側には「銅山至宝」の四文字、裏面には縦に「久二」、横に「五十」の文字が(かろうじて)読める。「久二」は文久二年(1862年)の初鋳であることを示していて、古い文献には鍔銭・波銭よりも製造開始時期がやや早いという記載がある。「五十」とはこれを五十文相当で通用させたことを示す。 成分は銅:鉛=8:2とされ、鍔銭・波銭よりも鉛成分が多い。古くから秋田の「鉛銭」とよばれている。鉛成分が多いためか、白っぽい錆が表面に吹き出ている。鍔銭や波銭が青錆(緑青)を吹くのとは対照的だ。裏面の右上隅には「秋」の極印が打たれる。 銅山至宝にはもうひとつ「百文銭」が存在する。書体にじゃっかんの相違があるものの、サイズが一回り大きくなっただけでみてくれは「五十文銭」とほぼ同じ。現代の古銭ショップには「五十文銭」のほうが多く流通しているような気がするが、佐藤清一郎「秋田貨幣史」によれば、むしろ「五十文銭」のほうが発行枚数が少なく、手に入れるのがむずかしいという。銅と鉛の融合がよくないからか脆く、破損したものも散見され、美品が少ないので、「愛泉家にはまさに至宝的存在」だと記している。 長方形の板状の貨幣で、真ん中に丸い穴があいているものは、すくなくとも日本では他に例がないだろう。鍔銭といい、波銭といい、加護山貨幣デザインコンクールの入賞3作品を実際につくってみた、としか思えないような独創的なデザインの銅貨を幕末の秋田藩は連発した。 This is one of local coins minted by the Akita domain at the end of the Edo period like Tsuba-sen and Nami-sen that have been shown in this blog. Produced at the Kagoyama Refinery, it was used within or around the Ani Mine

秋田波銭 Akita Nami-sen (Coin)

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Size: ϕ 42.5 × 3.6 mm / Weight: 41 g 秋田藩は幕末に独自の貨幣をいくつか発行したが、これもそのひとつ。 前に紹介した秋田鍔銭 とよく似たところがあり、たとえば 旧二ツ井町域内にあった加護山製錬所で、文久3年(1863年)頃から数年間鋳造されたこと、 材質は銅:鉛=9:1 程度の合金で、独特の赤味を帯びていること、 これ1枚で100文(いまの貨幣価値でいうとざっと1000円くらい?)の値打ちで通用させたこと、 などは共通の特徴といえる。鍔銭は秋田藩内で広く流通したが、この波銭は阿仁銅山や製錬所周辺でのみ通用したとされる。したがって発行枚数は比較的少なく、鍔銭ほど現存していない。地元の歴史研究家だった佐藤清一郎は著書「秋田貨幣史」で、波銭はなかなか手に入りにくく「近頃は精巧なニセものが多く出回っている」と記している。 表面(=貨面)のデザインは、数え方にもよるが7波21筋の青海波。これは「寛永通宝・四文銭」の初期のデザインとほぼおなじで、銭貨としてなじみ深い文様だったのだとおもわれる。裏面(=貨背)はのっぺりしていてまったく文様がなく、ただ「秋」の極印がおされているだけ。鉱山内のみの通用ということで、つくりも簡素である。波の太さの違いで「太波」「中波」「細波」に分類され、また裏面の「秋」の極印にも大中小の種類があるという。ここに紹介したものは「中波」で「中」の極印かとおもわれるが、判別に自信はない。不純物の違いか、表面仕上げの違いか、他の秋田藩の銅貨にくらべて赤味がはっきりしていて、独特のあたたかみを感じる。 Akita Nami-sen ("wave" coin) is one of the local coins minted by Akita domain at the end of the Edo period. Nami-sen is very similar to Tsuba-sen that has been shown in this blog in that they were produced at the Kagoyama Refinery since 1863, made of about 90% copper and 10% lea