秋田鍔銭 Akita Tsuba-sen (Coin)
Size: 52.5 × 48 × 3.5 mm / Weight: 50.5 g 幕末に秋田藩(久保田藩)が発行し、藩内でのみ通用させた銅貨。文久3年(1863年)から数年間の鋳造とされる。この時期になると幕府の力は衰え、経済状況も悪化した。とくに貨幣の流通量不足が深刻化したため、各地の大名が独自の貨幣を発行して経済の安定を図り、同時に藩の財源とした例がみられた(場合によっては幕府の許可なしに公然と「ニセ金」をつくった)。秋田鍔銭もそうした地方貨のひとつ。秋田藩内には阿仁、荒川、院内などの鉱山があり、金属資源に恵まれていたので、こうした銅貨はお手の物だった。 秋田県能代市(旧二ツ井町)にあった加護山製錬所で鋳造された。この地は銅山である阿仁鉱山と鉛山である太良鉱山との中間地点にあり、また能代港までの水運の便もよく、製錬や貨幣の鋳造をおこなうには好都合だった。当時の銅貨は、いまの10円玉と同様、銅にじゃっかんの錫を混ぜた青銅製のものが多いが、阿仁をはじめ秋田県内からは錫は産出しないので、微妙に赤味がかった色合いが特徴。銅:鉛=9:1の合金製とされるが、成分にはばらつきがあるという。 江戸期もしくはそれ以前の日本の古銭といえば「寛永通宝」みたいに文字だけが刻印されているのがふつうだ。もとより日本の銭貨は中国銭を模倣してつくった。貨幣としての威厳を保つためにある種の規格内におさめる傾向があり、デザインとしておとなしい。秋田鍔銭はその点ユニークな存在で、まったく文字がなく、鳳凰の絵と八卦文とが描かれているだけだ(側面に文久の「久」の字が刻印されている)。大ぶりで全体が日本刀の鍔のような形なのも他に例がなくおもしろい。世界的にみてもこんなコインは珍しいかもしれない。幕末という時代の転換期で、思想・文化の潮流の変化が影響したのだろうか。 はじめて古銭屋に踏み入れたのだが、店内には小判とか古金銀とか細かく分類された品々がいっぱい陳列されていて、これはやばい沼だなと身震いした。 A local copper coin minted by the domain of Akita, Japan, for several years since 1863, when the central government Bakufu 's pow