紀州の蛍石 Fluorite from Kisyu
黄銅鉱と方鉛鉱とを主体とする鉱石片の一面を蛍石の群晶が覆い、さらにその上に方解石が散らばる。蛍石は径 6 〜 7 mm ほどの立方体で、色は微妙に緑っぽい、あるいは紫っぽい感じもある。紫外線下では青白く蛍光する。方解石は釘頭状の平べったい結晶のようで、それらが立体的に寄せ集まっている。裏面には端正な六角柱状の結晶も見える。残念ながら標本が破断していて、接着剤で補修してある。
紀州鉱山は江戸期より金山として知られ、1930年代から石原産業が鉱業権を得て銅山として経営した。鉱石は四日市の製錬所に送られた。戦時中は東南アジアにも鉱山をもち、その後化学メーカーとして発展する基盤となった(会社の「沿革」より)。日本の銅山を 10 個あげよと言われたら、ここ紀州鉱山もはずせないのではないだろうか。とくに脈石に蛍石を多産した点が特徴的である。鉱物の結晶化時期は大きく4期にわけられ、1期では緑泥石・石英をともなって黄銅鉱・黄鉄鉱が、2期では方解石・蛍石をともなって方鉛鉱・閃亜鉛鉱が、3期では金・銀が、そして最後に方解石が晶出したという (たとえば小野広一郎「紀州鉱山の鉱床について」鉱山地質、1961など)。
鉱山跡には「紀和鉱山資料館」がたてられている。周辺には瀞八丁など名所もあることだし、機会があればぜひ訪れたいものだ。
Slightly greenish or violet fluorite crystallizes in cubes of 6 to 7 mm in size over a piece of chalcopyrite and galena ores with white flattened calcite. Kisyu mine has been known since the Edo period as a gold mine and produced copper ores after Ishihara Sangyo owned the mining right in 1930s. Kisyu mine is probably one of the ten best known copper mines in Japan. It is relatively rare in Japan to see well-formed fluorite crystals in copper ores. Chalcopyrite and pyrite crystallize with quartz and chlorite at the first stage, galena and sphalerite with calcite and fluorite at the second, gold and silver at the third, and calcite at the fourth stage (Koichiro Ono, On the ore deposits of the Kishu mine, Mining Geology, 1961).