尾去沢鉱山 Osarizawa Mine
雪の尾去沢鉱山をたずねた。煙突は製錬所のもので、産業遺産として残されている。操業当時、このあたりは煙害のためにほとんどハゲ山だったそうだが、閉山から 40 年、少しずつ木が育ち始めている。
I visited Osarizawa mine at the end of the last year. The smoke stack remains as an industrial heritage. Smoke pollution killed trees in the nearby mountains, but some are recovered after 40 years since the closure.
JR花輪線・鹿角花輪駅の西方、約 4 km ほどの山あいに、尾去沢鉱山および製錬所の跡がある。南北 3 km、東西 1.5 km ほどの区域に鉱脈が無数に走っていて、数え方にもよるだろうが、脈の数は 400 とも 500 とも言われる大鉱山であった。発見当初は金、江戸時代後期からは銅をおもに掘った。優良鉱脈の枯渇と銅価格の下落で、1978年に閉山。現在、史跡・尾去沢鉱山(旧マインランド尾去沢)として、坑道内の一部が公開されている。また鉱山歴史館という鹿角市の施設もあり、鉱石標本や史料、採掘の道具などが展示されている。
当日は大雪で、JR花輪線が止まっていたので、盛岡駅から大館行きの高速バスに乗り、鹿角花輪駅前でおりる。バス待合所のコインロッカーに荷物をあずけ、近くの大判焼・お好み焼屋でしばし休憩。駅前からタクシーに乗り、10分ほどで到着。運転手に坑道の入場料の 1 割引券をもらった。
Osarizawa, located about 4 km west of Kazuno-Hanawa station of JR Hanawa Line, was a gold mine at the beginning and a copper mine after the late Edo period. There used to be 400 or 500 veins in an area of 1.5 km from east to west by 3 km from north to south. After the closure in 1978, a part of the mine tunnel is open for public and there is a Kazuno city museum of mining history. As the JR train was out of service because of heavy snow at that day, I used a bus from Morioka to Odate stations and got off at Kazuno-Hanawa station. It was about 10-minute drive to Osarizawa. The taxi driver gave me a discount coupon to enter the mining tunnel.
鹿角市鉱山歴史館 Kazuno city museum
テニスコートより小さいくらいの資料館であるが、鉱山所有の鉱石標本が多数展示されており、とくに標本ラベルに、産出場所が詳細に記されているのが貴重である。尾去沢の鉱脈は、便宜上 23 の鉱脈群にわけられていて、たとえば末広ヒとか、大盛ヒとか、縁起のいい名前がついている(ヒとは鉱脈のことで、漢字で書くと金偏に通)。たとえば「-5L 正徳ヒ 6 産」といった表記があったら、それは正徳ヒの第6鉱脈で、通洞レベルから測って 5 x 30 m = 150 m だけ地下にもぐったところで産出した、という意味になる。通洞とは、地上施設と鉱山内各所とを結ぶ、もっとも重要な水平坑道のこと。尾去沢の場合、観光坑道になっている石切沢坑(標高 305 m)が通洞になっている。これを基準として、上下に約 30 m 間隔で水平坑道が何本も掘られ、鉱石の採掘作業がおこなわれた。
This is a small museum, smaller than a tennis court, but many ore specimens owned by the mining company (Mitsubishi) are displayed with labels describing the place where they were produced. The veins in Osarizawa are classified into 23 groups, and each is named as Suehiro (spreading out), Taisei (flourishing greatly) and so on. Horizontal tunnels were dug at every 30 m in depth, so "-5L Syotoku 6" means it was produced at 150 m below the adit level of the 6th Syotoku (morally right) vein group.
陳列標本をながめると、鉱石の主力である黄銅鉱は、-4L か -5L あたりの深いところから産出し、その上の -3L から -4L あたりからは方鉛鉱や閃亜鉛鉱、そして通洞レベル以上になると、自然銅、孔雀石、硫酸鉛鉱などの2次鉱物が出る、などの傾向がわかって、興味深い。ただ意外にも -5L 中啓ヒからでた自然銅標本があった。その他、鉱山歴史館には、江戸から明治頃の鉱山のようすを示す貴重な展示品が多数ある。
It is implied that chalcopyrite, the main ore of Osarizawa, was produced at a deeper part of -4L and -5L, galena and sphalerite at a shallower -3L and -4L, and native copper, malachite and anglesite above the adit level. There is a native copper specimen from -5L Chukei. The museum exhibits many other historical relics.
史跡・尾去沢鉱山 The underground museum
つぎにいよいよ鉱山内部に潜入。中の気温は年中 13 ℃前後だそうで、むしろあたたかい。標準コースの奥に、特別コースが設けられているが、ぜひそちらも行くべきだ(たいした距離ではない)。尾去沢の鉱脈は、厚さ 1 m くらいの板がほぼ垂直にそそり立つような形状をしており、水平方向および深さ方向にそれぞれ 300 m くらい続いている。これを深さ方向に 30 m ごとに区切って、鉱脈の部分だけを掘っていくわけだが、その採掘跡が、上下に伸びる細長い空洞として残されており、何箇所かで見学できる。
Next I entered the mine. The temperature is constantly 13 degree Celsius, warmer than outside. I recommend not to miss a special course beyond a regular course. An Osarizawa's typical vein has a thickness of 1 m and horizontal and vertical lengths of 300 m. The ores were mined vertically at levels partitioned every 30 m, and we can see some hollow vertical fissures.
特別コースでは、リアルなマネキン人形をつかいつつ、昭和40年代あたりの採掘・運搬作業のようすが再現されている。この時代になると作業もほとんど機械化されているとはいえ、危険をともなう作業であることには変わりなく、至るところに注意を喚起する標語が張り出されている。
The special course is arranged as if we entered the active mine in 1960s. The mining process was mechanized at that time but people still worked with dangers. I saw cautions everywhere.
人によって興味の矛先はちがうだろうが、以上の2施設は、自然を知り、過去を知り、そしていまのわたしたちを考える上で、貴重な資料を展示する、たいへんすばらしい施設である。この日は大雪で交通機関が乱れていたので、あまり長居はできなかったが、わたくし自身、いろいろと発見があって、おもしろかった。その発見の詳細は、また後日ご報告したい。
帰りは、時間があまりないながらも、国道沿いの道の駅「あんとらあ」できりたんぽを食べて、ちらっと花輪の町並みを見ながら散歩した。8月には「花輪ばやし」というお祭りがあるそうなので、鉱山探索を兼ねて、また訪れたい。
Osarizawa mine is worth to visit to know nature, history and to consider our future. I didn't have very long time to look around because of snow, but learned some new things for me. I will report some of them later. I stopped by a roadside station "Antler" to eat Kiritampo. There is a festival "Hanawa bayashi" in summer. I would like to visit again to see it.
追記
太平洋戦争中、鉱山をはじめ、国内の工場や土木工事などの現場に多くの朝鮮人や中国人、さらには連合国側の捕虜が使用された。尾去沢鉱山では500名以上の外国人捕虜が鉱山の労働に従事し、8名が終戦までに死亡した。石切沢抗口脇には写真のような説明と謝罪の言葉が三菱マテリアル名義で刻まれている。この碑文が記されたのは2016年で、終戦から70余年がたっているが、何事も、不適切な過去を反省し、よりよい未来を切り開くのに遅すぎることはない。
参考文献
- 木下亀城、尾去沢鉱山、地質調査所報告書 119号(1937)
Kameki Kinoshita, The Osaruzawa mine, Imperial Geological Survey of Japan Report, No. 119 (1937)
- 堀純郎、尾去沢鉱山およびその付近の地質・鉱床、地質学雑誌 565号(1940)
Sumio Hori, Geology and ore deposits of the Osorizawa mine and its environs, The Journal of the Geological Society of Japan, No. 565 (1940) - 高橋英夫・安田金蔵、尾去沢鉱山、日本鉱業会誌 956号(1967)
Hideo Takahashi and Kinzo Yasuda, Osarizawa mine, Journal of the Mining and Metallurgical Institute of Japan, No. 956 (1967)
(注)1940年当時の読みが「オサルザワ」だったり「オソリザワ」だったり、一定していない。堀のタイトルは訳者のタイプミスかもしれない。あとどっちにしろ秋田弁では「オサリザワ」も「オサルザワ」に聞こえる…