尾去沢鉱山の重晶石 Baryte from Osarizawa Mine

Osarizawa Mine, Kazuno, Akita Prefecture, Japan
Size: 17 × 11 × 10.5 cm / Weight: 2.9 kg

重晶石の薄板状結晶が多数集合している。最大径 10 cm に達するかという結晶も鎮座するが、これが単結晶なのか、複数の結晶が平行連晶したものなのかは定かでない。結晶群の一面にのみ、細粒の石英と緑泥石とが入り混じったような、泥のようなものが降り積もっている。

重晶石は、日本の金属鉱山ではごくありふれた鉱物である。黒鉱型の鉱床では、おなじ硫酸塩である石膏とともに、ほぼかならず伴う。これらは海水中の硫酸基が熱水中の金属イオンと反応して生成した、と解釈できる(島崎、2016)。

鉱脈型の鉱床では、重晶石がよく出るヤマと、あまり出ない、あるいはまったくみられないヤマとがある。尾去沢は重晶石を多産した。秋田県内では、他にも阿仁や荒川など、多少なりとも重晶石を産出する鉱山が多い。いっぽう宮城県の細倉鉱山や、栃木県の足尾鉱山では、重晶石はほとんどみられない(たとえば「日本鉱産誌 B I-b」「日本の鉱床総覧 下巻」など)。こうした違いが、熱水の起源に海水がどの程度関与したかで決まる、などと簡単に言っていいのかどうか、単なる鉱物愛好家のわたしにはよくわからないが、現象としてはたいへん興味深い。

尾去沢ではこの程度のサイズの重晶石の結晶はめずらしくない。

補足

  • 参考文献:

    • 島崎英彦「鉱石の生い立ち」明文書房、2016年
    • 「日本鉱産誌 B I-b」、地質調査所、1956年
    • 「日本の鉱床総覧 下巻」日本鉱業協会、1968年
  • すでに紹介した尾去沢産の重晶石標本。サイズは小さいが、透明感がある。秋田大学鉱業博物館所蔵の標本の写真も同ページに掲載している。

  • 鹿角市鉱山歴史館(リンク1リンク2)に展示されていた尾去沢産の重晶石の大塊の写真。2018年12月に撮影した。標本幅は 50 cm 以上はあっただろう。産出地の中啓ヒ(ヒは鉱脈のこと)は尾去沢の鉱床の東縁に位置する。各鉱脈の位置関係についてはこちらの記事を参照のこと。

  • おなじく鹿角市鉱山歴史館に展示されていた重晶石標本の写真で、菱マンガン鉱をともなう。標本幅は 20 cm 程度かそれ以下か? 2018年12月に撮影した。再盛ヒの産出で、ここは尾去沢の鉱床の南端に近い。ところで2026年3月末をもって、尾去沢鉱山の観光坑道一般公開が終了するという(小中学校の修学旅行等の団体の見学は継続する)。おなじ敷地にある鉱山歴史館は存続するのだろうか?

  • 三菱鉱業の技師で鉱物愛好家でもあった南部秀喜は、自著「南部鉱物標本解説」に以下のように記している(カッコ内はわたしの補足):

    (尾去沢の重晶石は)とくに赤沢方面に多く、前述(菱マンガン鉱の美晶が産出した)七年ヒはそのもっとも粗大なる結晶を産し、最大 100 mm に達する結晶片を産すれども、きわめて破損しやすし。黄銅鉱・黄鉄鉱混合鉱石が晶出し、鉱脈中央に最後に重晶石が晶出せるものなり。その他、種々の産状あるも、いずれも最後に晶出したるものなり。

    七年ヒは再盛ヒの南隣の、尾去沢の鉱床の最南端に位置する鉱脈である。重晶石は、基本的に鉱床の周縁部に多くみられたようである(高橋英夫・安田金蔵「尾去沢鉱山」日本鉱業会誌 83巻 956号、1967年 リンク)。

  • 木下亀城「秋田県の黒鉱鉱床 その1」(九州鉱山学会誌 11巻 6号、1940年 リンク)によれば、尾去沢鉱山の東方約 1.5 km の旧協和会館のあたりに小規模な黒鉱鉱床が存在した。また鉱山の北側にも黒鉱型の石膏鉱床があった。尾去沢の鉱床が生成した当時は、このあたりは海底下にあり、熱水の一部は海底面を突き破って噴出して黒鉱鉱床をつくったと考えられる。

  • 一般に重晶石は脈石、すなわち商業的には役に立たない捨て石とみなされるが、重晶石のみがまとまって出れば、バリウムの鉱石鉱物たりうる。化学工業の原料の他、重晶石は比重4.5の重い鉱物なので、鑿井の際に必要な泥水に混ぜる加重剤としての用途もある。実際、昭和40年代までは、北海道の小樽松倉鉱山など、日本でも重晶石を採掘する鉱山がいくつか存在した。