酒田人形の猫と犬 Cat and Dog Dolls Made in Sakata

招き猫 Beckoning Cat

高さ 19 cm

ねこれくとさんのページやその他ネットの情報をもとにすると、山形県酒田市でつくられた土製の招き猫でまちがいないだろう。大げさな装飾がなく、写実性を重視したデザインだったかとおもうが、でもなんとなくお顔が人間っぽいかんじがして、独特のおもしろさがある。酒田は最上川の河口に位置し、山形県内外との交易で古くから栄えた。この猫さんを店先に置いて、商売繁盛をねがったのかもしれない。


This must be an earthen maneki-neko made in Sakata City, Yamaga, Japan, according to online information sources. The craftsperson would have chosen a realistic design, avoiding a caricatural expression. It is interesting, however, the face looks like a human being. Located at the mouth of the Mogami River, Sakata has been a trading city from old times. This beckoning cat might be displayed at a shop or a office in Sakata, hoping for a good business.

現代の「招き猫」像とは一線を画したデザインだ。制作年代は特定できないが、すくなくとも昭和前期かそれ以前のものだろう。鉄道網が構築され、都会の流行が押し寄せて、地方の風物が失われようとしていた時代だと思うが、東北の田舎にはまだこうした「古き良きもの」が残っていた。
ちょっと前のめり。多少の傷はあるものの、胡粉が全面きれいに塗られていて、すべすべしている。
首輪がかわいい。背中になにか文字(前の所持者の落書き?)が書かれている。
底がちょっとへこんでいて、おなじ東北地方日本海側の秋田の八橋人形との類似性を感じる。厚手の土人形で、持つとずっしり重みがある。

狆(ちん) Dog

高さ 9 cm / 幅 9.7 cm

これは一般に「羽衣狆」とよばれているもので、デザインは京都の伏見人形を踏襲しているものとおもわれる。招き猫ほどではないものの、犬は安産の象徴ということもあり、ひと昔前までは全国各地で類品がつくられ、愛玩された。お顔の表現、ていねいな胡粉の塗り方など、上の招き猫との共通性を感じる。「黒毛」は基本的に灰色の線で縁取りされるが、一部、筆の穂先で輪郭をギザギザにしている。毛の風合いをあらわしたものと考えられるが、これも上の招き猫の毛の描き方と共通している。


A dog with drooping ears and a gorgeous ornament was a popular motif of clay doll, probably originating from the Fushimi doll, Kyoto. People respected dog dolls partly because it was a symbol of safe birth. There are similarities between this dog and the cat shown above; for example, face expression and a delicate white coating. The black hair's part is basically enclosed with a gray line. However, the border is partly jagged to show mixing with the white hair, which is another similarity to the beckoning cat.

頭が平らだ。土人形界で犬といえば、このように耳が垂れたタイプが多い。
ふつう土人形の背部は彩色を省くが、これはしっかりと首飾りが描かれている。

酒田人形について

酒田人形の工房は現在の酒田市街の南部、新井田(にいだ)川の南岸に位置した旧鵜渡川原(うどがわら)村にあり、江戸末期から大石家の人が代々つくった。創始期には木型で人形をつくった(ふつうは土型である)。文政年間(1820年頃)の年銘のある木型がのこっていることから、酒田近辺での人形づくりはその頃までさかのぼる可能性がある。酒田人形というのは人形愛好家がなづけた呼称で、地元では単に「瓦人形」と言ったようだ(「かわら」とは粘土を素焼きした製品のことで「かわらけ」のかわらと同じ意味)。さいきんでは創業地の古称をとって「鵜渡川原人形」と呼ぶことが多い。1990年代には大石家での人形づくりは途絶したが、その後は「鵜渡川原人形伝承の会」の有志による保存・伝承活動がつづいている。

わたしの浅い経験によると、酒田人形は厚手で、持ったときに重みを感じるものが多い。粘土の質がわるくて、技術的に薄手につくれなかったのかもしれない。酒田人形の創始期には、木型に粘土を押し込み、中が空洞でない、無垢の土人形をつくっていたという。人形の重さに酒田人形のアイデンティティが込められているのかもしれない。


The Sakata doll was crafted by persons of Oishi Family since the mid 19th century, who lived in Udogawara village, located in the south of Sakata city and on the southern bank of the Niida River. They used wooden molds in the beginning in contrast to many other clay doll manufacturers who used earthen molds. The age recorded on the oldest molds suggests that clay dolls might be produced around Sakata area since 1820s. The dolls are called the Sakata doll or the Udogawara doll. The last craftsperson of Oishi Family quitted making dolls in 1990s, but some local supporters soon organized an activity to preserve and continue the Sakata doll tradition.

I think most of the Sakata doll is heavier than expected from its size, implying the clay's quality was not very good and it was difficult to create a thin body. Some of the early Sakata dolls made with wooden molds were not hollowed. I guess the weight is one of the traditions of the Sakata doll.

参考資料

補足:人形の呼称について

  • 酒田の土人形については「酒田人形」「酒田土人形」「鵜渡川原人形」などの呼び方があって統一されていない。おなじ酒田地域の広田地区でも昭和中期に土人形をつくった人がいるので、それと区別する意味では「鵜渡川原人形」がいいのかもしれないが、そもそも広田人形は人形愛好家の間でさえひろく認知されていないこと、鵜渡川原なる地名は現在は消滅していて、一般になじみがなく、いったいそれがどこにあるのか外部の人間にはわかりにくいことなどから、「酒田(土)人形」の呼び方も悪くはない気がする。

  • 「山形県の諸職(伝統的手職)」(山形県教育委員会、1987年)によると、人形を制作していた大石家では昔から単に「人形」とか「瓦人形」と呼んでいたが、それを村々に売りさばいていた行商人たちは商品名として「鵜渡川原人形」と呼んでいたらしい。鵜渡川原村は昭和4年に酒田市に編入され、消滅した。昭和中期、家業をついだ大石文子は、自分のつくる人形を「酒田人形」と呼んでいた(大石文子「酒田人形を受け継いで」おもちゃ 57号、29〜30ページ、全国郷土玩具友の会、1965年)。また、昭和期の人形愛好家や公的機関も多くは「酒田(土)人形」と呼んでいる(たとえば足立孔「全国郷土人形図鑑」1982年;山形県立博物館発行の図録「特別展 やまがたの玩具展」1983年)。いっぽうすでに挙げた「山形県の諸職」(山形県教育委員会、1987年)では「鵜渡川原人形」を採用していて、すでに1980年代には2つの呼称が並立していたことがわかる。

  • 現在、酒田の土人形を継承している人たちは、自分たちの会の名前を「鵜渡川原人形伝承の会」としているので、やはり地元の人たちの意向を尊重して、これからは「鵜渡川原人形」と呼ぶか、あるいは場所がわかりやすいように「鵜渡川原人形(酒田人形)」などと表記するように改めていくのがよいとおもわれる。

  • 「郷土人形図譜 鵜渡川原人形」では、江戸期から明治前期の「古い」ものを鵜渡川原人形、それより時代が下るものを古酒田人形または酒田人形と区別することを提案しているが、区分けがあいまいで主観によらざるを得ないだけでなく、そもそも一般受けしないので、これは愛好家のあいだだけで通ずる業界用語にとどめておくのがよいだろう。