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白岩焼っぽい砧形の徳利 Shiraiwa-like Kinuta-type Bottle

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高さ 25 cm、胴径 13.5 cm。容量は1升くらい。 Height: 25 cm / Width: 13.5 cm / Volume: 1.8 L 某ネットオークションで入手した。出品者は備前焼だと言ったが、わたしがここ3年ほどに得た浅い知識に照らせば、秋田の白岩(しらいわ)焼ではないかと疑っている。 布をたたいて柔らかくする道具である砧(きぬた)に似た形状のこの手の徳利は白岩ではしばしばみられる。首の根元部分をドーム状に丸くする細工はこの産地独特のものだ(たとえば これ )。線刻で幾何学文と菊花文とをあらわしているが、こういった装飾技法も白岩ではめずらしくない。底部に近いところに3本の筋を平行に刻むのは白岩のお約束である。高台の雰囲気も悪くない。胴体と首とがちょっとずれていて、角度によってはひしゃげて見えるのも、いかにも田舎の細工をおもわせる。 白岩っぽくないところを指摘すると、まず全体にかけられている褐色の釉薬(赤釉)は照りが強く、色合いも多少明るめで、ほとんど飴釉に近い。ふつう白岩の赤釉はもっと土っぽく、マットな感じだ。口縁はやや薄すぎるきらいがある。それから高台の畳付きの部分は釉をはぐのが普通だとおもうが、この徳利は赤釉がついたままである。またこの手の細工物には作者の印銘(二瀧とかハ鉄とか)が押されていることが多いが、これは無銘。しかしながら、こうした特徴は、絶対に白岩ではない、というほどの強い反証にはならないだろう。 手にとってみると、いかにも古い田舎のやきものといった、素朴なあたたかみを感じる。出自は定かではないが、感覚的には良いやきものである。 This ceramic bottle was sold at an online auction as a Bizen ware, made in Okayama, but I guess from my three-year experience that it would be made in Shiraiwa, Akita. The shape resembling kinuta , which was used for fulling clothes, with a hemispherical joint between the neck and body ...

足尾を訪問 Visit to Ashio

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かつて銅山で栄えた足尾の町を旅した。今まで行ったことがなかったのだが、2025年8月8日に「足尾銅山記念館」がオープンする、というニュースを聞いて、行ってみることにした。 東武日光駅前からバスで向かった。足尾は栃木県日光市の一部だが、地勢的には渡良瀬川の上流部に位置していて、わたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)で群馬県側からも入ることができる。日光市が運営するこの路線バスの停留所は駅前と言いつつ、旅行者がすぐに発見するのは困難とおもわれる外れのほうにある。バスは小型で普段の乗客数があまり多くないことを暗示した。支払いに交通系ICカードは使えない(paypayはつかえた)。足尾までの道のりは国道122号に沿って約 20 km。かつてはつづら折りの峠道だったが、1978年(昭和53年)に日足(にっそく)トンネルが開通したことで所要時間は格段に短縮されたらしい。出発は午前9時36分だったがバスは数分遅れで到着し、足尾鉱山の製錬所跡地にほど近い赤倉バス停に着いたのは10時15分過ぎだった。 製錬所跡から銅(あかがね)親水公園 足尾の歴史については 「足尾銅山の歴史」と題する日光市の記事 がよくまとまっているので参照されたい。 ごく簡単にまとめると、江戸初期には足尾は幕府直営の銅山だったが、めぼしい鉱脈を掘り尽くして閉山寸前だった明治初頭、古河市兵衛(ふるかわいちべえ)がこれを買い取るや、直後に鉱脈がたくさんみつかって日本有数の銅山の地位を得るまでに発展し、古河財閥形成の礎となった。それと同時に鉱害が大きな社会問題となった(足尾鉱毒事件)。戦後も稼行したが1973年(昭和48年)に自山での採鉱を終了。他山の銅鉱石の製錬事業はしばらく続けたが1989年(平成元年)にこれも停止した。 古河(ふるかわ)橋と本山(ほんざん)製錬所跡。 赤倉のバス停に立つと、渡良瀬川の対岸にかつて製錬所の一部だった大きな建物が見える。いまは廃屋同然だ。渡良瀬川には古河橋という名のトラス橋がかかっているが、これは国の重要文化財として残されているだけで通行はできない。5分ほどで別のバスに乗り換えて、さらに上流部の銅(あかがね)親水公園に向かった。 足尾の鉱害は激烈をきわめた。銅鉱を製錬する際に発生する亜硫酸ガス(二酸化硫黄)は草木を枯らし、製錬所の周囲はハゲ山と化...

矢羽氷裂文の猪口 Imari Cups of Feather Fletching and Broken Ice Pattern

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左は高さ 60 mm、口径 55 mm。右は高さ 59 mm、口径 66 mm。 上に矢羽文、下に氷裂文をあしらった猪口二種。ちょっと大きめののぞき猪口と、ちょっと小さめのそば猪口で、大きさ的には大差ない。矢羽の描き方にちょっとした違いがあり、目の錯覚の類だとおもうが、のぞきのほうは矢が上向き、そば猪口は下向きのように(わたしには)見える。猪口の柄としては矢羽文も氷裂文もともに江戸中期に相当流行したが、これを両方組み合わせるとは所有者の満足度合いがしのばれる。 ついに日本の夏も最高気温40℃がふつうになってきたが、この文様の組み合わせは食卓でいかにも涼しげである。 Two differently shaped old Imari cups decorated with a feather fletching pattern in the upper part and with a broken ice pattern in the lower part. Two cups are of similar size, because the nozoki -type cup is a bit bigger and the sobachoko -type cup is a bit smaller than ordinary ones. It looks to me that the nozoki 's arrows are downward, and the sobachoko 's arrows are upward. The feather fletching and broken ice patterns were very popular in the mid Edo period (18th century). I think the owner would be satisfied with this composite design. This design looks cool in such a hot summer day that the maximum temperature reaches 40 degree Celsius, which is not uncommon in recent Japan...