鶴岡人形 Tsuruoka Clay Doll

山形県鶴岡市で明治から昭和初期の間につくられたとおもわれる土人形を4体あつめた(ただし産地・時代は100%確実ではない)。

The following four clay dolls were considered to be made in Tsuruoka, Yamagata, Japan, in the Meiji to the early Showa periods (late 19th century to early 20th century).

#1: 座る男(左、高さ 70 mm、幅 66 mm)
#2: 船上の男(右、高さ 63 mm、幅 77 mm)

上の2体は古色のつきぐあいから明治期の作とおもわれ、このあと紹介する2体とは作風の点で一線を画している。ひょっとすると江戸期までさかのぼるかもしれない。左の裃を着て正座する男の人形は、かなり古い時代の顔料とおぼしき緑・朱・黄・金で彩色され、落ち着いた印象を与える。生き生きとした表情で、当時の人々の心のさまが乗り移っているかのようだ。右の船に乗った人物像も同様の顔料で彩色され、顔立ちも似ている。おなじ工房による、おなじ時代の土人形と考えてよいだろう。

An aged appearance with a kind of dignity indicates the above two dolls were produced in the Meiji, or possibly in the end of the Edo period (the mid 19th century). Colored with old-type green, red, yellow and gold pigments, the left person sitting in a formal way gives an impression of harmony. The face looks as if people's spirit existed inside. The right person sitting on a boat is also colored with similar pigments and the face has a similar look to the other one, implying both dolls were produced by the same manufacturer and at similar times.

#3: 俵かつぎ(左、高さ 98 mm、幅 84 mm)
#4: 太鼓打ち(右、高さ 82 mm、幅 106 mm)

米俵をかついだ人物と太鼓たたきとをかたどったこれらの人形は、色合いからして大正から昭和初期頃のものとおもわれる。どちらも胡粉で全面下塗りされ、鮮やかな顔料でカラフルに彩色される。丸々としたお顔はいかにも鶴岡人形らしく、表情といい仕草といい、実に愛らしい。

These two dolls of a person holding a rice bag and a drummer would be made in the Taisho to the early Showa period (early 20th century), colored with bright pigments over a white coating of Gofun. A plump body is characteristic of the Tsuruoka doll. The face and gesture are lovely.

鶴岡人形は庄内藩で瓦焼きを生業としていた尾形家の人が江戸後期にはじめたとされる。地元の人は瓦人形と呼んでいて、ひなまつりなどで飾った。何代かつづいたが、他の多くの人形産地と同様、流行の波にのまれて戦後まもなくして廃絶した。北前船によって上方の物資が比較的多く流入した土地柄からか、京都の伏見人形の影響が強い。酒田人形は鶴岡人形から派生したものである。またおなじ日本海側の秋田の八橋人形とも相通ずるところがあるようにおもわれる。鶴岡人形の特徴としてもっともわかりやすいのは、小さな素焼きのかけらが内部に封入されていて、振るとカラカラ音がするところ。このしかけ自体は他の産地でもみられるが(たとえば八橋など)、鶴岡人形はほぼ例外なく音がする。また型の造形が細やかで、とくに手足の指の凹凸まできちんと表現される傾向がある。

It is generally said that a potter of Ogata family in Tsuruoka began making clay dolls in the late Edo period (early 19th century). People of Ogata family continued clay doll manufacturing but quitted in the mid 20th century like other clay doll manufacturers in Japan. As Tsuruoka was relatively plenty of western Japanese products because of commerce through the Japanese Sea, the local clay dolls were influenced by the Fushimi doll, Kyoyo. The Sakata doll began under the influence of Tsuruoka. I think the Yabase doll, Akita, the north of Tsuruoka and Sakata along the Japanese Sea coast, has something in common. The most notable feature of the Tsuruoka doll is that it contains a small piece of clay inside without exception. The Tsuruoka doll's mold tends to be finely made so that hands and feet are well expressed.

補足

  • 参考文献:

  • 山形県鶴岡市の致道博物館内の「民具の蔵」に鶴岡人形と酒田人形の展示がある。わたしはこの8月に訪れた。ここは入場料が1000円もするが、庄内地方の民具や工芸品等が多数展示されていて、鶴岡を通りかかったらぜひ訪れるべき場所だ。とくに大宝寺焼の陶製品やバンドリとよばれる民具(重い荷物を背負うときにもちいる背当て)の展示が見事で、これらは国の重要有形民俗文化財に指定されている。ただいたるところに「撮影禁止」の張り紙があって、いったいなんの目的で、だれの権利を守るためにこのような規制を設けるのか意味不明だ。これら展示品はもとをただせば地元民の生活用品であり、それを実質的に収奪して自分たちのほしいままにするとはまったくもって本末転倒である。その割に大事なはずの展示品の図録すらまともなものを公刊していない。このまま民衆の芸術を死蔵しつづけるつもりなのだろうか。

  • 背面。型が精緻で裏面も手を抜いていない。

    Backside views.
  • 酒田人形(左)と八橋人形(右)の参考写真。子どもが大きな鯛を掲げている。高さはどちらも 8 cm 程度。昭和中期頃のものだろう。おなじ東北地方日本海側の産地で、鶴岡人形となにかしら共通するものを感じる。

    酒田人形は持ったときかなり重みを感じる。八橋人形は底がちょっとへこんでいるのが特徴的。鶴岡人形にもほぼおなじ鯛抱きの意匠がみられる。縁起物としてよく売れたのだろう。

    A boy holding a big fish made in Sakata, Yamagata (left), and a similar doll in Yabase, Akita (right). Both would be made in the mid Showa period (mid 20th century).