上野目焼の徳利 Old Kaminome Bottle

Height: 18.2 cm / Width: 12.3 cm

骨董商によればこれは宮城県旧岩出山町(いわでやままち)の上野目(かみのめ)焼の器である。臭いからして油入れとしてつかわれたものだろう。全体に黄褐色の飴釉がかけられ、胴部には飛鉋(とびかんな)とよばれる技法で規則的な筋目がついている。洗練されたデザインで、存在感がある。同じような徳利は福島県の相馬大堀焼にもみられる。実際、上野目焼は相馬の技術を導入して発展したとされ、一見しただけでは産地がどちらか判然としないものがある。上野目は鉋目がどっちに傾いているとか、判別法はあるらしいが、わたしにはよくわからない。いずれにせよ江戸後期の古い東北の器である。

An antique dealer who sold this bottle said it was made in Kaminome, Iwadeyama Town, Miyagi, Japan. A smell from the mouth implies it would be an oil bottle. A regular pattern made by an edged tool and a yellow-brown glaze make this bottle artistic. The Soma-Obori pottery, Fukushima, also made a very similar bottle. It is said that Kaminome was influenced by Soma-Obori, and some antique earthenwares are difficult to tell the place where they were baked. Somebody says there is a difference in the direction of the edge pattern, but I can't explain it. Anyway, it is an old bottle made in the Tohoku region in the early to mid 19th century.

容量は5合ほど。首の根元がすぼまった独特の器形。持った感じはすこぶる軽い。鉋目や筋目のバランス感覚もよく、職人のスキルの高さがしのばれる。 The capacity is about 0.9 liter. The neck's shape is unique. It weighs lighter than expected. I guess the potter's skill was very high.
高台は華奢な感じがする。なにかの符丁が墨書きされている。 The bottom rim is thin.

補足

  • 「岩出山町史 上」(岩出山町、1970年)近藤京嗣「上野目焼」(陶説 457号、48〜50ページ、1991年)を総合すると、上野目焼は、江戸中期〜後期に仙台藩の家臣だった須江家の代々が上野目の自宅敷地内で焼いたやきものである。名字の須江は「陶(すゑ)」に通ずることからして、もともとやきものづくりと関係の深い家柄だったのかもしれない。とくに盛んだったのは江戸後期頃、須江源之丞の時代で、職人を十数名かかえていたという。近藤氏はこの職人が相馬の陶工であり、上野目焼の伝世品の多くが相馬大堀焼と似ているのはそのためだろうと推測している。時代が明治になるとすぐ廃業したので、いま残っている上野目焼の多くは江戸期のものである。

  • 上野目焼または相馬大堀焼の飴釉飛鉋の器の類例は以下で写真がみられる(太字が上野目):

    • 「日本やきもの集成1」(平凡社、1981年)の図版200204、327。
    • 「日本の古徳利」(近藤京嗣・中西通 編、みちのく陶庫、1982年)の図版29、45、66
    • 「東北の近世陶磁」(東北陶磁文化館、1987年)の図版139

    ほんとうによく似ていて、写真だけで産地を言い当てるのはむずかしい。芹沢長介「宮城県のやきもの」(日本やきもの集成1、124〜128ページ)によれば、上野目焼は、

    1. 鉋目の「走行が左に傾く」(鉋目の筋が右上から左下に向かって走る、という意味か?)
    2. 施釉部と無釉部との境界が鉄色に変化している

    という特徴があるというが、本当にそうなのかどうか、わたしにはわからない。