和賀仙人鉱山の赤鉄鉱 Hematite from Waga Sennin

Sankaku Deposit, Waga Sennin Mine, Kitakami City, Iwate, Japan 岩手県北上市 和賀仙人鉱山 三角鉱床
Size: 70 × 55 × 35 mm / Weight: 137 g

漆黒で金属光沢のある六角薄板状の赤鉄鉱(ヘマタイト Fe2O3)が積み重なるようにして多数集合する。褐色に色づいた石英を少量ともなうが、ほぼ純粋な赤鉄鉱の塊だ。大きい結晶で径 10 mm ほど、厚さは 2 mm ほどある。

A small piece of iron ore composed of numerous hexagonal black hematite plates and some brown-colored quartz needles. The biggest crystals are around 10 mm in diameter and 2 mm in thickness.

拡大図。光の加減によっては灰色っぽく見えたりする。

和賀仙人鉱山はスカルン型の鉄鉱床を掘った鉄山で、遠平(とおひら)・下遠平・三角(さんかく)・金肌(かなはだ)などの鉱床が点在していた。下遠平には銅の鉱床もあった。鉱石の多くは塊状の雲母鉄鉱(径 1 mm かそれ以下の赤鉄鉱の鱗片状の微結晶が集合したもの)だったが、晶洞には粗粒の結晶がみられた(以上「新岩手県鉱山誌」より)。とくに三角鉱床はかつて美麗な赤鉄鉱(鏡鉄鉱)の結晶を産出したことで知られ、かの高壮吉をして「伊太利国エルバ島産の遠く及ばざる」「世界唯一の好標本」と絶賛させたほどである(地質学雑誌 75号、1899年)。「日本鉱物誌・改訂版」には径 3 cm、厚さ 0.5 cm に達する結晶があったと記されている。

The Waga Sennin Iron Mine had several skarn-type deposits such as Tohira, Shimo-Tohira, Sankaku, and Kanahada. Copper ores were also mined at Shimo-Tohira. The iron ores basically consisted of micaceous hematite of less than 1 mm in size, but large crystalized specularite occurred in a drusy part. In particular, the Sankaku deposit was known as the best locality of specularite in the Sennin Mine. Ko Sokichi, a professor at Kyushu Imperial University, wrote in 1899 that hematite from the Sankaku deposit was much better than from Elba, Italy, and it would be of the world best quality. A revised edition of Wada's Japanese Minerals (1916) described that the biggest crystals were up to 3 cm in diameter and 0.5 cm in thickness.

補足

  • 参考にした書物:

    1. 高橋維一郎・南部松夫「新岩手県鉱山誌」(東北大学出版会、2003年)。
    2. 高壮吉「日本産鉱物雑説補遺 仙人鉄山鏡鉄鉱の晶面」(地質学雑誌 6巻 75号 442ページ、1899年)。
    3. 神保小虎・瀧本鐙三・福地信世「日本鉱物誌・改訂版」(原著:和田維四郎、1916年)。
  • 和賀仙人鉱山は明治30年前後(1897年前後)から本格的な開発がはじまり、昭和51年(1976年)まで稼行された。その後、遠平夏畑鉱山と称して探鉱をつづけたが発展しなかった。単に「仙人鉱山」と呼ぶことが多い。おなじ岩手県の鉄山である釜石鉱山のそばに仙人峠というのがあるため、こちらは和賀の仙人鉱山と強調したかったのか(どうか知らないが)「和賀仙人鉱山」という会社名だった。ちなみにJR和賀仙人駅は「わかせんにん」駅なので要注意。

  • 三角鉱床は湯田ダム(錦秋湖)のアーチ式の堤体のすぐ東側に位置する。石灰岩塊の周辺部にいくつかの塊状の小鉱体が点在した。鉱区の大半は和賀郡西和賀町杉名畑に属する。

  • 明治32年(1899年)当時、まだ三角鉱床は開発され始めたばかりで、手つかずの良鉱がふんだんにあったのだろう。それにしても高先生がエルバ島産の鏡鉄鉱標本をどの程度おもちだったか、あるいは見たことがあったかわからないが、「遠く及ばざる」というのはさすがに言い過ぎではないかとおもう。

    仙人鉱山で採掘された赤鉄鉱はほぼすべて製鉄原料として溶かされたので、いまとなっては残された標本も数少ない。以下にネットで検索可能な標本を列挙するが、高先生をして激賞せしめるに足る標本がこれらの中にあるかと言われればやや疑問である。

    I don't know how many hematite specimens from Elba Prof. Ko did possess or see, I think his praise for Sennin hematite was an overstatement. The Sennin Mine began in the end of the 19th century and was closed in 1976.  As the ores were roughly treated as a source of iron, Sennin hematite specimens are rare in market. I can't find such superb Sennin hematite in museum collections that Prof. Ko was astonished at.

    1. 上野の国立科学博物館の展示品。 ひとつめふたつめ
    2. つくばの地質標本館の展示品。 ひとつめ: これは鏡鉄鉱の標本。 ふたつめ: これは薄板状の赤鉄鉱が積層して、それが全体として球状を呈するもの。
    3. 三菱マテリアル所蔵の和田標本にも多数収められている。東京大学総合研究博物館のデータベースで写真が見られるが(たとえばこれとか)、展示はされていない。そこそこのクオリティーだが、高(1899年)によれば彼が手にした標本は和田標本に比べて「はるかに優良」だった。一体どんな標本だったのだろうか?
    4. 九州大学の高標本にも当然収められているが写真は非公開。結晶の径 1 cm 以下と記されている。高(1899年)の標本とは異なるとおもわれる。
    5. その他、一般向けの鉱物図鑑の赤鉄鉱の項にはたいてい仙人鉱山の標本の写真が掲載されている(たとえば松原「日本の鉱物」増補改訂版、学研教育出版、2009年; 藤原「鉱物鑑定図鑑」白川書院、2014年、など)。