白岩焼の耳付き大甕 Shiraiwa-ware Big Jar with Ears

口径 35〜36.5 cm、高さ 32.5 cm、高台径 17〜17.5 cm

全体に茶褐色の釉がかけられた大きな甕(かめ)で、容量は約1斗(18リットル)。胴の上部に線刻で波線が描かれ、また控えめながら、部分的に白釉と黒釉が流しかけられていて、よい景色になっているとおもう。左右に独特の形をした「耳」がついている。これは装飾としてだけでなく、持ち運びのしやすさという実用性も考えての細工だったとおもう。

実際のところはわからないが、たぶん江戸後期から明治前期につくられた、秋田の白岩焼だろう。高台の2か所が丸くえぐられているが、これは白岩の甕や徳利でよくみられる細工だ。かなり上出来の甕だとおもうが、それでいて上から見ると口がちょっと楕円にひしゃげていたり、高台に大きな窯傷があったりするところに、白岩らしいあたたかみ、陶工の人間味がにじみ出ているようにおもう。

窯の中での火の当たりの違いか、半面は黒っぽく焼き上がっている。フレンチクルーラーを貼り付けたようなこの装飾は、古い中国の青磁などにみられる「遊環」、あるいは器とくっついた「不遊環」に習ったものと思われる。
甕の内側の底部には、まるい小さな目跡が4個ついている。高台の一部がえぐりとられている。底部に大きな窯傷があるが、水を張ってみたところ、顕著な漏れはなかった。白岩をはじめとする地方の窯場では、必ずしも良質の陶土に恵まれていたわけではなかった。このような窯傷はよくあることで、実用上問題なければ、文句を言う人など誰もいなかったのだろう。

参考

  • 画像1
    角館の武家屋敷通りにある青柳家で展示されていた甕。たぶん白岩焼。2023年12月に撮影。どちらも耳付きで、胴の上部に線刻がほどこされる。どちらも内側全面に青白いなまこ釉がかけられている。いわゆる「内白、外赤」で、白岩では明治7年頃かそれ以降の製品とされる(渡辺為吉「白岩瀬戸山」、1933年)。今回紹介した甕は「内赤」なので、それより古い作品の可能性がある。
  • 画像2
    おなじく角館の樺細工伝承館で展示されていた白岩焼の甕。2025年8月に撮影。やはりどちらも耳付き。左側は「ハ鉄」の刻印があるので、作者は白岩焼勘左衛門窯の渡辺雄之助(1837-1902)である。右側は飴釉で、かなり装飾が凝っている。
  • 画像3
    横手市の横手公園展望台(横手城)で展示されていた甕。たぶん白岩焼。2025年8月に撮影。手前と左奥は内側全面に白釉がかかっている。火ぶくれが目立つ。秋田あたりの大型の甕には、左奥の例のように、耳がついていないものもある。耳付き、耳なし、どちらがめずらしいのだろうか?
  • 画像4
    「日本やきもの集成1」(平凡社、1981)より転載した中山焼の耳付甕(19世紀、高さ 28.5 cm)。中山窯は慶応4年(1868)に白岩の陶工がいまの横手市中山地区にて創始した。大甕の左右に環の耳の装飾(不遊環)をほどこすのは、基本的には白岩独特の意匠だったとおもわれるが、白岩の流れをくむ他の窯でもつくられたようだ。
  • 画像5
    米沢市にある「酒造資料館 東光の酒蔵」で展示されていた成島焼の大甕。2023年7月に撮影。左側の甕には「耳」の装飾があるが、これはどちらかというと実用的なもので、単なる「とって」である。わたしは国内外の古いやきものに広く精通しているわけではないので、確かなことは言えないが、花瓶・花入の類ならともかく、1斗もある大甕に不遊環のような装飾をほどこすのは、秋田以外ではかなりまれなのではなかろうか?
  • 渡辺為吉「白岩瀬戸山」に白岩の製品の単価表・産額表が記載されている。これによれば、当地では最大で3斗の甕があった。しかしそのような大容量のものは特注品で、実際に量産されたのは1斗入りが最大だったようである。1斗甕の卸値は、明治4年〜11年は1個あたり250文、すなわちわずか2.5銭にすぎない。これは当時の米1升、あるいは酒1升の値段と同程度なので、いまの価値にすればせいぜい2000円である。もっと小容量の甕ならもっと安かった(たとえば1升甕は25文だった)わけで、いかにこの手の陶器が廉価な日用品だったかがわかる。