寺沢人形:犬乗り童子 Terasawa Doll: A Boy Riding a Dog

19世紀 19th century
幅 11.5 cm / 高さ 12.0 cm

子どもが犬を乗り回すのは現実には無理な話だが、現代人がジブリやディズニーのアニメ映画を楽しむのと同じように、昔の人もこういうファンタジーを楽しんだのかとおもうと親近感を覚える。子どもと犬の表情、全体の造形は見事というほかない。蘇芳の赤、緑青の緑、そして犬の首まわりの金泥がバランスよく配されており、古人形の重厚感がある。

犬は古くから人間の相棒であり、また安産の象徴として縁起物とされた。昔の人はこうした土人形を日常的に、またはとくに3月のひな祭りの時期に飾って子どもの健康を祈った。逆にそういう風習が一般庶民にひろがったおかげで、江戸中期以降、日本各地でおびただしい数の郷土人形がつくられ、その結果としてわれわれはこうして当時の人々の息づかいを感じることができる。

It is unrealistic that a child rides on a dog, but people in the past enjoyed fantasy like moderns who love Ghibli and Disney films. The child and dog's faces, and the entire shape are excellent. The colors of suo red, malachite green, and gold black at the dog's collar show oldness. Dog has long been our good partner and a symbol of easy delivery in Japan. People wished children's health, displaying this kind of clay dolls in a house especially in March. Prevalence of such custom in the late 18th to 19th centuries brought forth clay doll manufacturers everywhere in Japan. And as a result, we can directly feel thoughts of people in the past through dolls.

垂れ目、垂れ耳でかわいいわんこだ。ひょっとするとこの人物は帽子のようなものをかぶっていたのかもしれない。古人形に見慣れてくると、塗料の剥げを脳が補完するようになって、気にならなくなる。一種の病気の兆候と言える。
この人形は全面が土で覆われているので、焼成時に爆発しないように童子の耳に空気穴があいている。底部の墨書きはなにかのメモ書きだろうか。

骨董商いわくこれは山形県米沢市で幕末あたりにつくられた寺沢人形だという。一般に流布されている説によれば、相良人形の3代厚正の妹(一説には娘)が寺沢家に嫁いだときに同家で人形づくりをおこなわせたらしい。相良家は代々米沢藩に仕えていて、人形づくりは副業として一年のうちでも限られた時期(とくにひな祭りより前の冬の時期)にのみおこなっていた。資料がなくてちょっとわからないのだが、寺沢家も同じ米沢藩の家臣とおもわれ、本業だけでは食べていけない幕末の動乱期にあってある種の食い扶持を分け与えたのかもしれない。寺沢人形は山形県立博物館の民俗資料データベースで何点か確認できる。相良なのか寺沢なのかの鑑定は専門家でもむずかしいようで、実際すべて相良人形と一括りに扱われることが多い。この人形の産地も100%の確度をもって断言することはできないとおもう。

The antique dealer who sold it to me said it was Terasawa doll born in Yonezawa City, Yamagata, around the end of the Edo period (mid 19th century). It is widely said that Sagara Atsumasa, the third master of Sagara doll, allowed his sister (or some says daughter) to manufacture clay dolls when she married and moved to Terasawa Family. Atsumasa was a samurai in the Yonezawa Clan, and clay doll was his side business in a winter's short period. Though I haven't seen detailed literatures, I guess that the head of Terasawa Family was also a samurai, and Atsumasa might share a method of doll business during a difficult time when the Yonezawa Clan was about to collapse. Some photos of Terasawa doll are available in the folklore database of Yamagata Prefectural Museum. It seems that even an expert cannot readily tell whether it is Sagara or Terasawa. I think this doll could be Sagara.

補足

  • 山形県立博物館の民俗資料データベースの解説には以下のような記述がある:

    相良人形三代目清左衛門(厚正)の娘(妹ともいわれる)が、寺沢家に嫁ぎ冬期間相良人形を手伝ったのが始めと言われる。また、独自の型や他の人形の抜き型によった、多くの人形が作られた。
  • 厚正は1814年(文化11年)に生まれて、1833年(天保4年)に家督を継ぎ、没年は1882年(明治15年)だった。寺沢家に嫁いだのが厚正の妹なのか娘なのかでかなり話が違ってくるが、ともかく寺沢家の人形づくりがはじまったのは1840〜50年代かなと想像する。寺沢人形がいつ頃まで続いたのかも、くわしい資料が手に入らなくてわからない。

  • 詳細は不明だが、ともかく相良家と寺沢家は親類筋で、家も近く(「相良家と相良人形」(塩野徳五郎、1974年)によればどちらも米沢市下花沢)、ある意味共同で人形づくりをおこなったと考えられなくもないことから、とりたててこれが相良だ、あれは寺沢だと騒ぎたてることもないようにおもう。

  • 物理学者のテラカン先生(寺沢寛一)は米沢出身で、米沢藩士の家に生まれている(wikipedia の記事)。寺沢人形の寺沢家と関係があるのだろうか?