不老倉鉱山の矢筈形方解石双晶 Calcite Fishtail Twins from Furokura
秋田県鹿角市十和田大湯 不老倉鉱山 Furōkura Mine, Towada Ōyu, Kazuno City, Akita Prefecture, Japan Size: 25 × 23 × 19 cm / Weight: 5 kg 緑色の母岩上に径 2 cm ほどの犬牙状の方解石(カルサイト)が多数密生する。それらのいくつかは矢筈形(あるいは矢羽形、足袋形)と称される双晶をなし、幅は 5 cm、長さは 10 cm にも達する。単晶と比べると大きさは「桁違い」だ。一部不完全なものも含めると双晶はぜんぶで 9 個あり、いずれも大きく成長している。紫外線長波のもとで明瞭に赤く発色する。通常光でもすでにややピンク色を呈するので、かなりの量の不純物(マンガン?)を含むものとみえる。 和田維四郎「日本鉱物誌」(1904年)によると、不老倉の矢筈形方解石双晶は、本の出版の2年前にあたる明治35年(1902年)にその存在があきらかになった。「淡紅色にしてやや透明し、へき開しやすし。表面平滑ならざるも光沢つよし」と記載され、同書の改訂版(1916年)によれば、結晶の大きさは「みな大にして最大 10 cm を超ゆ」とある。これらの記述は本標本の特徴と合致する。 不老倉の鉱床は東北地方に典型的な裂罅充填式の石英・緑泥石・黄銅鉱脈で、温泉や ストーンサークル で有名な秋田県鹿角市大湯の街から 10 km あまり東の安久谷(あくや)川の最上流部、秋田・岩手・青森の三県にまたがる四角(しかく)岳の北西麓に位置する。江戸期にはすでに銅山として知られ南部藩の管理下にあった。明治に入って古河鉱業が経営し、近代的な鉱山開発がおこなわれた。クマがうようよいるような奥羽山脈の奥地であるが、大正5、6年頃(1916、7年頃)の最盛期には鉱山の従業員は3000人を数え、小学校の児童数も600人に及んだという(斎藤実則「あきた鉱山盛衰記」秋田魁新報社、2005年)。1927年(昭和2年)鉱量枯渇により休山。その後も探鉱がおこなわれ、いくらかの出鉱をみたが往時のにぎわいは戻らなかった。 この標本は某ネットオークションにて入手した。長い間個人宅にあったものらしい。この矢筈形の方解石の形態は世界的にみても(宇宙ひろしといえども?)めずらしいもので、これだけの大きさの結晶が出た